鄙(いなか、ひなびたところ)には、鄙の楽しみもあるのですが、ここの集落にも原子力災害の避難者はいます。飯館村から奥さんの実家を頼って来ました。もともと落ちてきた武者が住んだところとも言われています。

直接の避難者は例外的なモノとしても、山林を資源にする「きのこ」の再開は目途が立っていません。あんぽ柿も出荷区域の拡大などと、掛け声はさかんなものの空白のブランクは、生産・販売とも大きな影を落としています。
復興を願い「鯛」を持ち上げる飾りも出ています。縁起ものと言えば「招き猫」これもある山車に鎮座していました。

ローアングルになりましたが「百万両」の小判もしっかり下げています。昨今、私的なネット利用とは言え映像権のこともあるので、なるべく周囲の人の「顔」が映らないようにとアングルに気を付けて、下から見上げるように撮っていると「東京モーターショーのコンパニオン撮影じゃあるまいし」と声が掛かります、鄙にも失礼なことを言うのがいます。

こちらが「花屋台」と言われる山車、7基の山車のうち2基がこのタイプ。実る稲穂を模したものと聞いています、四方に垂れる「稲穂?」が祭りの雰囲気を盛り上げています。

こちらの山車の象徴は山車中央の「大花」と言われる「和紙」で作られた「花」、雨の懸念があったのでビニールのフィルムで包んでいたのでわかり難いのですが、これも伝統ものです。古くからこの地域に存在した「和紙」を使っていて、よく見ると微妙な縮れがあって、パルプが入った「和紙風の洋紙」ではこのようには仕上がりません。「牡丹」を表しているのだそうですが、何年かにわたって使っているので、色の褪せた「牡丹花」になっていましす。和紙職人に「更新」の相談をしていました、来季は新装なるか。
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