福島大学で原発事故の後処理などを題材に、講演・執筆活動をしている社会学者の「福島学」の本の内容から、福島にとっての「ありがためいわく」と言う記述があり、先日その話で盛り上がりました。 福島に行って「売名」「金儲け」を企む人たちが各々の情報を発信し、「目立って幾ら」の基本構造によりよりエキセントリックな主張を展開する。そのことによって[福島県民は傷つき」全国的に「いらぬ誤解」を招く。このような事の繰り返しがまだ続いています、 中間貯蔵施設の周辺や帰還途中の自治体はともかく、全県的な県民生活は比較的落ち着ています。さすがに汚染水を抱える漁業や教育旅行需要が激減した宿泊関係、ブランド低下の農産物関係は厳しいものがありますが。

福島大学の社会学の先生も、そのような情報発信に対して「ありがためいわく」と、やや穏便な言い方をしていますが、ただの「迷惑」ともすれば「畏敬業務妨害」ではないかと思うものもあります。
先日通りがかりに寄ったのが、福島市の郊外「民家園」に移設されている明治期の芝居小屋「広瀬座」。今度黒川能の上演があるとの看板がありました。 かつて広瀬座が立地していた所の人間としては、「お能」などより、「大衆演劇」の方がしっくりくるのですが。もっとも物心ついたころは大衆演劇もなく、既に映画館で覚えている上映は初期の寅さんモノだったりするのですが。

田舎町になぜこのような文化財級の(重文ですが)施設があったかと言うと、「養蚕業」のたまもので養蚕から絹織物まで関連産業がパッケージされこの地域で展開していたことによります。

もちろん原発事故の相当前に下火になっていたと言うか、産業の態は成さなくなっていたのですが、原発事故をきっかけにこの地を訪れた経済学者は、往時をしのぶのにわずかに残った桑畑の「桑の葉茶」を題材に取り上げたりますが、ここの地域経済を支えたのは「桑」とか「繭」とか「生糸」などのもの単発ではなく、一連の複合的なビジネスモデル。 その辺まで掘り下げる研究者はほとんどいません。日帰り1泊で、何度か来てきいたふうな口を利くセンセイが大半ですので。蚕そのものはなくなっても先人が残したビジネスモデルや先進性は、これからも生かせると思うのですが。
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