今にして思えば「なんだったんだろう」と思うのですが、震災当年「ヒマワリプロジェクト」なるものが流行りました。ひまわりは放射性セシウムの吸収係数が高く、土のセシウムをひまわりに移行させることにより、水蒸気爆発で降り注いだ土壌のセシウムを処理しようと言うもの。

吸収させた後のひまわりの処理も深く考えず、世の中にこれだけ「ひまわりの種」があったものだ、とも思えるような種が日本中から集まり(輸入ものもあったかも知れませんが)、大小さまざまな、「ひまわりプロジェクト」が実行されました。
民間療法的なものかおもいきや、セシウムの被害の象徴的な地域になった飯舘村では、農林水産大臣まで駆けつけて「試験栽培のひまわり畑」も出現しました、億の金を掛けたひまわりの効果の実証実験です。
秋になって効果を検証すると、思ったほど効果がないとの報告がなされ、一説によるとひまわりによる吸収でセシウムを処理するには2000年かかるとのこと、セシウムの4年ごとの半減期を考えれば実質無意味です。 また、これも一説なのですが、ウクライナの事例でもひまわりやアブラナの吸収では効果は期待できないことは推察できたが、何かやらなければ恰好がつかないため、「取り敢えずひまわりに走った」との声もあります。 原発事故は事故を想定することすらタブーだったので、対応の検討など考えるべくもありません。
その頃、と言っても4年前ですがその名残で今の時期になると「ひまわり」が目立ちます。ひまわりには何の罪もないのですが、「希望の象徴」のはずが「能天気の象徴」のようになってしまい、なんとも苦い思いで見る花になってしまいました。

雑草の間から朝顔も顔を出します、晴天の盛夏には日中にはなりを潜める花ですが、梅雨の雨の滴り落ちる時期は日中でも可憐な花を咲かせます。
梅雨の主役、アジサイもまだまだ元気に咲き誇ります。

最近はアジサイも品種改良か、色とりどりになりました。しかし、はやり薄紫や薄水色がアジサイらしくて梅雨空に馴染みます。
ひまわり以降の除染対策は、土などを剥がして持ち出す「物理除去」、農産物への移行抑制はカリなどを早く吸わせてセシウムを吸わせないカリ散布、ゼオライトに吸着させて移行を抑制する対応。 技術立国、科学立国にしてこの対応。再稼働の原発が福島のようになる可能性はまず低いと言っても、もう少し放射性物質の根本的なコントロールの目途が立たないうちの利用再開は、国民より目先の利益か、と言われても不思議がないように思います。
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