梅雨の中休みです。梅雨入り宣言からは間もないのですが、それ以前から低気圧の影響で雨が多く、久しぶりの晴れ間です。

たぶん、大人以上に晴れ間を望んでいるのは子供たちで元気に走り回っています。ここの校庭は以前は芝生のグランドでした。除染で剥ぎ取られ、砂を入れられて何の変哲もない「校庭」になっていますが。
先に書きかけた「合理性」のはなし、東電の広瀬社長は賠償の新基準の説明で、「営業損害が続く限り賠償をする」「余分に掛かった経費も合理的な範囲で賠償に応じる」と至極もっともな発言をしていたのですが、担当者レベルでの具体的な進め方の説明会では、2年先のことは確約できないなど相当後退した説明に説明会では「納得できない」との異論が相次いだと言うこと。 これには伏線もあって、東京電力福島復興本社などと「看板」は立てたものの、何をするにも東京本社の判断。損害賠償の相談でも福島の窓口でするのは様式への記入方法の説明程度で、詳しいことは電話で東京と話すことしかありません。それも電話の先は、コールセンターのオペレーターで一応謝罪はするようですが、マニュアル通りの受け答えしかせず「交渉」とか「相談」の対象ではありません。被害者の商工団体側では、そのようなストレスも聞き及んでいて尚更厳しい意見が相次いだものと思われます。

広瀬社長の言う「個別に事業者のご事情をうかがって合理的な判断で」と繰り返すのですが、会社としては何もせずに「うやむやに」と言うことでしょうか。
で、そもそも東電が「合理性」「合理的」と言うことが可能かと言うこと。 以前、本かネットかで見た意見に「原発事故後に東電を潰してしまえと言う主張は、一時的な感情的な暴論で、発・送電を考えると合理的ではない」と言うものがありました。当時の政権も「事故の責任や後始末は東電にさせる」とのことで、一応国費を投入して存続させたのですが、これはどう考えても「利」の話で「理」の話ではないと思うのですが。 関東の電気が無くなるとそれは困るのですが、必要な施設や人員を最低限買い取れば済むこと、法人としての東電でなくとも出来るように思います。そもそも、「国策に従った」「千年に一度の天変地異であった」と同情すべき点はあるものの、基本的には廃炉費用と損害賠償等が巨額で会社としての存続が出来なくなり、「仕方なく」「便宜的に」東電を存続させたわけで、社会や経済のルールからして何の合理性も見いだせない東電の存続で、しかもそこで雇った電話オペレーターに返答マニュアルに従って「あしらわれる」だけの被害者の「怒り」は想像に難くありません。 目先の損得は割高になっても、歳出超過の企業は倒産・破産。経営者、出資者は一定の責任を負う。その上で国は社会的な影響を最小限に止める手立てを講じる。これが合理性だと思います。
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