今までは行きすがら見つけた桜の写真をアップしていたのですが、この桜はちょっと知れた名木だそうです。

農家のヒアリングから戻る途中、節柄あちこちで何とか桜の立札がありますが、ここは20キロ近く先まで桜の名所の表示があるもの、名前だけは知っていましたが、花の節に通りがかるのは初めて、高台の駐車場から写真だけ撮りました。

「合戦場」の桜と言って、八幡太郎義家と安倍氏との合戦の場所だったらしいのですが、いまから1000年の昔。史実の方は分かりません。もっとも隣接の東和町には追い込まれた義家の籠った山に雪が降り、木についた雪を源氏の白旗と見た敵が退散したとの伝承もあるので、このあたりで征夷大将軍と東北の勢力との攻防があったのでしょう。 平泉の藤原氏の隆盛のさらに前の話で、都の天皇中心の歴史書の中で敵国と位置付けられた地方のことで、敗者から見れば言いたいとも多々あるのでしょう。
1000年前の合戦と言っても、桜の樹齢は推定170年くらい。安倍氏の怨念を鎮めるために江戸時代の人が植えたのか。まわりの桜も一緒に咲き誇っていました。
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