3月の雨は、降る度に春めきます。大相撲も始まり、この後選抜高校野球でも始まれば一気に春めきます。この後も雨予想ですが、午後には一旦やみました。

昨年の豪雪から見て、拍子が抜けるほどの「少雪」だった今年の冬。農家は2月までは「未だある」と予測していましたが、もう直ぐ3月中旬、さすがに大雪はなさそうです。
お年寄りの、「よく晴れた暑い日だった」という昭和20年8月15日回顧ではないのですが、4年前の3.11も晴天でした。当日は公立中学校の卒業式でまさに春到来の天候でしたが午後の激しい揺れ。その後、春到来どころか地震・津波の瓦礫に雪が積もる天候が来ました。 震災後、比較的早く電気は通りましたが断水が続き、井戸水や給水車に行列が出来ました。何日かして上水道が復旧し「水が出た」と言うことになっても一向に通水せず。敷地内の断水でわずかな縁を頼って水道業者に来てもらい、庭を掘って水道管を繋ぎ直しました。それが3月の何日だったか、雪の中での作業でした。

その後の放射能災害など思いもよらず、「やれやれと」一息ついたことを思い出します。
その後は、逆に「放射能災害」による緊迫状態が続き、現在に至ります。震災直後から当分の間、日本中から警察車両自衛隊車両がやって来てまさに非常時の戒厳状態。今日街でパトライトを回して走るパトカーを発見。警察官二人が忙しく現場に急行のようでした。「そういえばおびただしい数の緊急自動車が走っていた」ことを思い出しました。
新聞のアンケートによると、6割強の県民が「風評被害が続いている」と言う回答。逆に4割弱が「風評被害が少なくなった」と言う答えに方に驚かせられます。「少なくなったことにしたい」と言う潜在的な意識も働いていると見ています。
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