今週末のテレビ等の報道・企画も3.11特集。丁度年度末にかかり、卒業シーズンと新年度の新たな生活に進もうとする時期なので、夏の「夏休み=旧盆=終戦記念日」と一緒で、季節の行事になってしまうのかもしれません「卒業シーズン=年度末=3.11」。

風化被害とも言われ、爪痕が残っていりるのにも拘らず、災害が忘れられてしまうことも困るのですが、また「訳知り」のような自称専門家・にわか専門家・とって付けたような研究チームが現れて、本質からかなりずれた評論をされても困ります。
被災地の立場からすると、3.11で括られても「気象災害」である地震津波と、まぎれもない人災である「原発事故」は異なる災害であると言うこと。気象災害にしても「地震」「津波」「いずれかの事故対応」と細分化して考えることが、将来的な被害低減に向けての教訓になるのかもしれません。

「原発事故」に至ってはもっと複雑で、直接の原因は3.11東日本大震災であったにしても、作り上げられた安全神話、困窮している立地地帯の囲いこみ戦術、稼働後頻発した(といわれる)トラブル隠しなどを総点検して各炉心熔解と水蒸気爆発・放射性物質飛散を現実に起きた.3.12・3.14と言うように分割しなければなりません。また、被害も健康被害・避難による損害(精神・経済)・事業損害・はては自主避難の妥当性等々膨大な点検と、国や東電への説明責任や補償の請求との復旧道筋などの点検があり、「汚染水の流出が報告されなかった」といった枝葉末節が問題の本質ではありません。
原発事故と言うと、反原発や反核まで一緒にされますがこれも冷静な対応が必要で、「原発が無いとどういうふうに困るのか」「ここ2年無くとも何とかなったではないか」「化石燃料の枯渇と二酸化炭素はどうするのか」まで丁寧に議論する必要があると思います。目先のコストの他に有事のコストという巨大なリスクも今回目にしたわけですので。
放射能災害はカバーする事項が膨大で、いつも何ともしまりのない文章になってしまいます。折々に加筆したいと思います。
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