放射能災害による避難は、山形県に多く見られます。隣県でも宮城や茨城は津波の被害があったのと「セシウムの拡散」も言われました。 山形は震災影響も少なく、放射能の影響も及ばなかったので避難が集中しました、太平洋岸の原発事故から日本海岸に向かおうとするのも当然の心理です。未だ多くの自主避難者もいます。

福島市の中心部から、山形県米沢市の中心部まで車で1時間程度。これだけの距離でありながら震災も原子力災害も全くの無縁の場所で、何ともうらやましく思えて仕方のないところです。
この地の山形大学工学部と正式な共同研究を立ち上げることになりました。当方の事業内容を学術的な知見と施設のある大学に研究を委託すると言うことです。実は震災前から研究者を等して情報の交換は行っていて、始めようとしていた矢先の3.11。特に原子力災害によって進むに進めない状況でありました。現在でも、なお厳しい状況ですが再生のためにはやはり動きを止めるわけには行きません。
そのような訳で、積雪の米沢にも何度か足を運んでいます。逆にたった1時間の距離で、これだけ福島と積雪が違うと言うのも新鮮な驚きです。

何年か前の大河ドラマ「天地人」で舞台になったところでもあり、結局最後は仙台に落ち着く伊達正宗も生まれは米沢。もともと福島県北部の伊達地方の領主だった伊達氏。山形南部(置賜地方と言います)に所領を伸ばし、米沢に本拠を構えたからには、雪深さに負けない魅力があったのでしょう。

裏腹に放射能災害で住居を追われ、または自主的に難を逃れてきて、雪のない福島から来て積雪のこの地で生活をする羽目になった人たちの苦労が忍ばれます。戦国末期、正宗の出生頃に伊達氏と対立していたのが相馬氏。正宗の父輝宗は米沢から相馬に向けて出陣しました。 相馬氏の領地は相馬、双葉。何とも言えない因縁を感じながら雪の壁を越えてきました。
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