仮設の年越しも4回目、もはや仮設と言う言い方も当っているのかわかりませんが。 歯の抜けるように仮設を出た跡があり、また生活の臭いがあり、100家族に原子力災害の100の脱出劇があったように、紆余曲折の末、辿り着いた仮設住宅からの転居もまた100の物語があります。

雪の残る仮設住宅も、寒風と底冷えで往来の人もまばら、隣では復興住宅の建設も始まりました。幾何学的に並ぶプレハブにはとって付けたような雪囲いがあります。一応入居当時は、「物置がない」「網戸がない」など、生活に不自由なことがあれば速やかな対応があったようですが、この様子だと生活支援のレベルも相当低下しているように見えます。

いつまでも甘えてはいられないと、避難者や関係者は言いますが、もともといわれのない災難に巻き込まれて、交通事故の自賠責賠償に準じた「慰謝料」で困難な生活を余儀なくされているわけで、「なんでこんな目に」と言うのが、合いも変わらぬ入居者の本音でしょう。

まずは、大人は「理不尽だ」「どうしてくれる」と事故加害者に対して声は出せますが(どれだけ真剣に向き合ってくるかはとにかく)、住宅に置かれた遊具などを見ると、何とも言えない気持ちになります。 子供にとって故郷は「仮設住宅なのか」。ここから出ても新しいコミュニティを一から作らねばなりません。また、政府や自治体が進める「帰還」となると、まさに有為転変「流浪の民」と言って差し支えなくなります。
避難だけをとらえて、原子力災害の被災者と言いたがる風潮もありますが、新聞報道でも福島県内の畜産農家は「円安によるエサ代の上昇」「風評による販売価格の低迷」のダブルパンチと言う記事がありました。もちろん円安は県内に限ったわけではありませんが、福島は原発事故の影響が付いてまわります。 多くの課題を積み残して今年も暮れます。
スポンサーサイト
|