「安全」と「安心」と言う言葉があります。ともに[安]はつきますが意味合いは相当違うようです。安全は客観情報によりに判断すること、「安心」とは主観。安全の証明書とは言いますが安心の証明書とは言いません。
主観より客観的な事例の方が「優位」かと思いきや、例えば買い物はあくまでの買い手の主観で、「対価」つまりお金を支払います。
福島で問題になっている「風評被害」、これは買い手(消費者)の主観の問題です。検査結果を添付しても販売が回復しない現状を分析すると、購入者の主観的な安心感がまだまだ不足しているようです。
元凶をたどるとやはり「東京電力」、言葉巧みに責任回避をしていることが、まわりまわって自らの発言の信頼性を損じているように見えます。

例えば、東京電力が福島市内に設置しているこの看板「東京電力株式会社補償センター相談窓口」。焦点は「賠償」とは言わず「補償」と言っていること、辞書で引けば補償も賠償も似たようなものですが、現実的には補償は合法的にかけた損失の補填、例えば「道路拡張によって用地を買収した対価」。賠償の方は例えば「過失によって交通事故を起こした際支払う慰謝料や治療費・修理代」。 本件事故(東日本大震災による東電福島島第1原子力発電所事故に関わる放射能災害)は、補償か賠償か。東電や原子力関係者でもなければ「賠償」と言うでしょう。
あくまでも東京電力のスタンスは、本件事故で被害に合われた皆様へのお支払いは「無過失であっても損失を補てんする原子力賠償法」の法律に沿って行っているので、過失を認めたものではないと言う事。
このような無理筋を通す言動が収まらない限り、国民の主観的な安心感など望むべくもありません。
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