10月です、風もひんやりして来ました。しかし、なかなか「さわやか」と言う気分になれない被災地です。

秋空を背景に、風にそよぐコスモスもいつも紹介しているように秋の風景にすっかり溶け込んでいますが、ところ変われば何とも物悲しく見えてきます。

「仮設住宅」のコスモス、なんとか生活に潤いをとの目的で植栽したのでしょうが、震災から3年半はもはや仮設と言う概念から逸脱しています。急ごしらえのプレハブと簡易的なな舗装、さら地のの表面を削ってまたは盛り土して、急ごしらえで長くても2年でお役御免の仮設住宅に「緑の植栽」が生い茂っています。

これも以前から書いていますが、刈取り前の水田も荒れています。コメの減収や技術的な問題よりも、「作り手の心が荒れている」、または「心が荒れる環境である」、という事でしょうか。 このあたりのメンタリティは、文章で言い表す自信がないので避けますが、やはり「いろいろな荒廃」が進む被災地です。

たまたま、隣に止まった給食搬送車両のペイントがなんとも長閑な風情です。しかし、本来はそうあるべき、ここの市も先の市長選の公約違反を問う声が出てきました。「もっとしっかり除染しろ」と言う声、に委託のアドバイザーはこれ以上の除染は費用の無駄遣い、心配するレベルではないという事です。 善悪ではなく、見解の相違。民主主義の支払うべきコストなのかもしれません。
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