ニューヨークの写真家マグダレナ・ソーレ女史を原発事故の避難地域に案内しました。南相馬市小高区、除染作業者、警備の車両だけが人気のない街を走り、たまに掃除や片付けの避難者が居るだけです。 この地で農業が出来ていたころの契約農家宅に案内しましたが、よく整備されていた畑は4回目の夏を過ぎ,雑草だけが繁茂しています。ビニールハウスの天井が抜け、そこからまた湧き出るように雑草が抜き出て、ビニールか被さったままのハウスは、その時に植えてあった野菜が成長しきって、それがドライフラワーのように枯れ落ちでいます。

蜘蛛の巣の張った倉庫には、避難以前に活躍したトラクターが置いてあります。中古農機の買付業者も入ってきているのですが、かつての相棒を手放せない農家心情もよくわかります。
そして3軒目、思いがけない出会いがありました。野菜農家、ジャガイモなどの作付をお願いしていた高田さん。なんと、たまたま戻ってきていて自宅の整理中。 ここは出入りは可能なものの、宿泊はできない区域。3月12日の夜に避難後各地を転々、翌月に県内に戻り、6月には市内の借上げアパートに入居。会社が休みの土日にはこうして戻って、整理や簡単な農作業をしているとのこと。

大震災後、被災地の画像をカメラに収めているマグダレナさんも、情報としては知っていても、「避難所」を転々とし、「家があっても戻れない」話は初めての様子。興奮気味に話をお聞きでした。聞くところによるとマクダレナさんはここ10年は写真を撮っていますが、それ以前はドキュメンタリーの短編などの映像を取られていたそうで、アカデミー賞もとったことがあると言うドキュメントリーの巨匠。福島の現状をどのように表現なさるのか、非常に楽しみです。

気にしても仕方がないので、ホールボディ・カウンターは受けていません。あと2.3年後ここが避難解除になれば戻ってきてここに住みたいという高田さんご夫妻、「この福島の人たちの強さは何処から来るのでしょう」マグダレナさんの言葉が印象的でした。 ただし、子や孫、近所の人も戻らない公算が強い。やってくるのは震災前は居なかった「猿」「イノシシ」、道を歩けば「イノシシ追突注意」の標識。
思えば、震災の前の週、つまり2011年3月上旬、ようやく春めいた日に「春ですね、今年もジャガイモなどよろしく」とご挨拶に来てそれ以来の再会でした。ご主人の髪が白くなっていた以外は変わらぬ笑顔、懐かしさとご無事でお元気と言うことに安堵した再会でした。 あの日はここから、浪江町津島、川俣町山木屋を通り福島市に戻りました。その道は、まだ封鎖されたままです。
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