猛暑の後は豪雨と低温、そしてまた暑さ。目まぐるしい夏の気象で露地野菜の管理が大変です。 今日も善後策のために朝から産地回り、ラジオの高校野球が楽しみです。4年前痛めた首筋の調子もあって冷房ガンガンとはいきません、頸椎捻挫は長引きます。
阿武隈山地を縦断します、原子力災害が色濃く残ります、残るというより進行中か。 田村市船引から二本松市岩代・東和を経て伊達市に抜ける国道349号線。田村市瀬川で二本松に向かわず右に進むと双葉郡葛尾村に抜ける「移街道」、葛尾村はいまだに全村避難、奥床しいのか、川内村や飯館村ほど話題に上りません。
葛尾村は原発までの距離もあって、原発への経済依存が事故現場の周辺自治体ほど高くなく「被害だけ貰ってしまった」地域、北隣がDASH村のある浪江町津島。

その葛尾に行く道も通行止で、まさに袋小路のような道路。その手前の集落です、「まさに旧街道」と言うような街並みです。

共同研究でお世話になった大学の先生に山梨出身の教授がおられ、お会いすると「花子とアン」の話題に誘導されるのですが、大正時代からタイムスリップしたような佇まいです。 この奥には石炭ならぬ「馬産地」で財を成した一族が住んでいたそうですが、それは近代化と言われた殖産の時代ではなく中世以前でしょう。

一方、国道349号を伊達市まで北上すると突然コンクリートの柱が伸びます。急に浮上した福島を横断する高規格道、何度か書いた除染で出た廃棄物を「中間貯蔵施設に運ぶための道路」といわれています。もちろん被災地の振興のため、と言うことにもしておきましょう。

都会のビル建設と見間違えるばかりの体制で建設が進みます。新しい使命を与えられて急ピッチで建設が進む道路。中世以来の役目を終えて、緑に包まれるように静かな息づかいの道路。
もっとも、役目を終えたようなというのは一時の感傷か。瞬時に情報が駆け巡る現代で、物理的な移動の優劣だけで価値が決まるわけではありません。 静かな佇まいの中でも「情報発信」は可能です。逆境に負けず、また頑張りましょう。
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