南相馬市で、東日本大震災の「復旧・復興」の志の途中で、不意の病で命を落とした知人がいます。と言うと、放射能かと言うことになるのですが、死因は「くも膜下出血」市役所と電話の途中で意識を無くしました。救急搬送はしたものの、実際は即死状態、突然の死去に連絡も届かず、お盆を前に遅ればせながらの「ご焼香」になりました。

南相馬市との行き帰りに久しぶりに通った飯館村、相当悲惨な状態です。原発事故直後から、調査やその対応などで何度も来ていました、全村避難も線量が明らかになって、事故後何か月か後に始まったもの。2年で戻ると帰村宣言をしての避難でしたが、日数を重ねることに荒廃は進んでいます。

確かに居住者はいませんが、ここは国直轄の除染体制、日本人なら誰でも知っているような「大手ゼネコン」がJVを組んで、車両や重機などを投入して「除染」なる清掃活動をしていますが、要は山の地肌を剥かないと本格的な除染にはなりません。除染によって出た廃棄物の、仮置き場か仮仮置き場の設置か知りませんが、この程度の土木作業では到底追いつきません。現在の除染予算からも0が2つは増えるでしょう。現在の姿は「アリバイつくりの除染ごっこ」の様相です。

かつての水田は一面の雑草の原野、事故直後に当時の民主党政権の農水大臣が来て行った「ヒマワリの種まき」も、その圃場ものが草むらになっていました。 元気よく野生のサルが道路を横切って行きます。生活の破壊・心の荒廃、夏草に覆われたかつての生活権は「目に見えない破壊」もともなっています。
やがてこの草叢に樹木が生え、住居が朽ち果てます。時間との戦いが続きますが「中間貯蔵設備」なるハードを作ってみたところで、混乱が収まることにはつながりません。
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