東北は、11月の声を聞くといっそう晩秋の色が濃くなります。今年は「楽天ゴールデンイーグルス」の活躍で少しは「燃える秋」でした。めでたく優勝で幕を閉じましたが、災害復旧の遅れなどの状況が好転してるわけではありません。
何年か振りに、生まれ故郷の「祭礼」に参加しました。ここ数年、けが、出張、身内の不幸などでお祭りにはご無沙汰をしていたのですが、当たり前のように顔を出すと当たり前のように迎え入れてくれるところが、やはり故郷の故郷たるゆえんです。出張と書きましたが、一昨年のこと「例大祭」とは言え凶事があると神輿は出さないのが通例、古くは昭和天皇の病状悪化、平成5年の大冷害でも祭礼が自粛になりました。
平成23年は東日本大震災で騒乱状態、当然自粛と思われたのですが「逆にお祭りで盛り上げましょう」と言う機運からか祭礼実施。自粛を見越して、例大祭当日に所用を入れていたので結局不参加と言う事もありました。

秋の祭りは、基本的にその年の穣りを感謝するのが慣わしで、当然「五穀豊穣」を祝すということですが、どうも「豊穣」を祝せないのが昨今の状況。TPPの聖域五品目の問題は、裏シナリオ通りの進行としか思えず、ここにきて減反政策の見直しとのこと、それも段階的にと、まさに真綿で首を絞めるが如く。 この地域の稲作の問題は、セシウムよりも獣害。我がもの顔で闊歩するイノシシに手を焼いているのが現状、これとて遠く離れた避難区域が人の住まない「野生の王国」になり、そこで繁殖した鳥獣が区域外にも流出していて、しかも野生の茸や木の実などを食べるためセシウムの「体内濃縮」が進み、捕獲しても食用に適さないなど、原子力災害とは相当因果関係のある被害なのですが。
それはともかく「五穀豊穣」の文字がなんとも寂しく見えてしまいます。

秋だというのに何故か「牡丹」を模した花屋台、伝説や歴史伝承、時事話題を盛り込んだ山屋台など、例年通りの秋祭りが今年も行われました。 例年通りも例年通り、山車の引き手もみこしの担ぎ手も、顔ぶれがほぼ何年も変わらないのは「高齢化」を如実に物語っています。 高齢化といえど、地域コミュニティがまだ存在していることは立派なもの、知りあいの「神官」も息子の「禰宜」を公家装束で誇らしく連れ回していました、遠くから見るとなんとも雅です。

山屋台と呼ばれる飾り屋台も今年は「八重の桜」「楽天マー君」「海女ちゃん」商標の関係でもありませんでしょうが、あまちゃんと書かず海女ちゃんと書くところが、うっかりミスか事情があるのか。わずか300軒足らずの集落で、にわか人形師達の労作です。 観光化された祭りとも違う、日常の生活の中にある祭り、このようなコミュニティが今後とも続くことを願っています。

つい何日か前は「ハロウィン」。どこの保育所か、福島市内でも仮装した子供たちが保育士に連れられ歩いていました。かぼちゃの帽子の子供もかわいいのですが、何も遠く応酬ケルト人のお祭りを、八百万の神がいて、丁寧にキリストの誕生日まで祝う日本に持ってこなくても良いのに、とつい考えてしまいます。
もっともあと何日かで、各神社は七五三のお参りに賑わいます。これも子供が持ち望んでと言うより、ジジババの張りきる舞台。少子高齢化で数少ない孫たちに群がるような高齢者。まずは微笑ましくも、ちょっと寂しい現象ではあります。
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