残暑は厳しいのですが、ねっとりと体に纏わり付くような暑さは影を潜めました。一雨毎に秋の気配です、 今年も巨峰が始まります。

十二分に暑かった夏を越して、甘味は最高です。若干の酸味と渋味が味の奥行きを引き出します。
オリンピックがが東京で開かれます。被災地の受け取り方、安倍首相のプレゼンに賛否の声はありますが「とりあえずは良かった」としか言いようがありません。
事故現場はコントロール出来ている、汚染水は完全にブロックしている、と言う主張に関して、それは相当疑問符が付きますがですが、大体プレゼンと言うのは多少の懸念要素は覆い隠し、優位点は針小棒大に表現するものと相場が決まっており、聞く方もそれを割り引いて判断します。ロイヤルファーミリーでもあればともかく、政治家に「徳」を求めるのも無理強いなので、とりあえず安倍陣営・日本側にしてみればシラを切りとおすギャンブルに勝ったと言うところでしょうか。 現在の状況から7年間で廃炉、収束と言うのは決して現実的ではありませんが、兎にも角にも「国挙げて一生懸命に対処している」と言う姿勢は示して欲しいものです。

「首相は出来もしない国際公約をしてしまった」と揶揄する声もあります。思い出せば4年前、当時の鳩山首相がCO2の削減率で示した目標値に、国内はもとより国際的にも大変な賞賛がありました。しかし、化石燃料削減の裏には原子力の影が見え隠れしていたようで、目先の目標だけではなく「それが何をもたらすのか」を充分考える必要があるようです。政権維持のための苦し紛れの「口から出まかせ」であっても(そうでないことを祈っていますが)、何とか実現の方向に向かう切っ掛けであったらそれに越した事はありません。
おしいし葡萄が放射能災害前のようには売れません、風評被害は科学的なデータだけで解決できません。大体「風評被害」という概念では表現できない現象を放射能災害は引き起こしました、しかし他に適当な表現がないため「いわゆる風評被害」と損害賠償解決支援センターの表現を引用しますが「いわゆる風評被害」の払拭は従来型の表示やキャンペーンでは解決できません。 大体にして「安全であるという基準」、「安心であると言う根拠」それらの信憑性を問われているので、データではなく心理の問題です。
検察は政府東電等の原発事故発生時の関係者の起訴を断念したと報道されました。この事故を裁くのは法ではなく歴史と国際的な目と言うことになります。その点からも事故の10年後に開かれるオリンピックに意義を感じています。 招致委員会の竹田委員長の「東京は事故現場から250㎞も離れている」いくら苦し紛れとは言えこれは頂けません。この件は、またいずれの機会に意見を書きたいと思います。
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