オリンピック誘致に汚染水が足を引っ張っている報道がしきりです。開催を目指す各都市の立場になれば、相手の弱点、すなわちネガティブキャンペーンをするのは常套手段、FUKUSHIMAはそのターゲットになった様子、TOKYOにしてみても大変な迷惑なのでしょうが、そのとばっちりを食ったFUKUSHIMAはもっと悲惨な立場で、東京の思惑、東京電力の不始末の逆風をまともに受けています。
震災から間もなく2年半、あまちゃんブームに沸いた岩手など、遅ればせながらも復興の足音も聞こえてきました。 福島はと言えば、なんとも困った地場産業が育ってしまいました。「除染作業」です。汚染水の方は総理自ら、国が前面に出てと「国費」「先端技術開発」と惜しみなく資金や研究儀中と投入するとの見解ですが、地域除染となるとローテクに極み。削る、拭く、切り取る、集める、埋める、運び出す。逆に地域の土建屋さんなど専用機材がなくても人海戦術で対応できるのですが、それでもなぜかピラミットの頂点にはゼネコンが鎮座する不可思議さ。土建屋国家日本がここでも健在です。

除染作業と言うのは、一般的な土木作業とは異なり金は掛るがインフラは残ると言うような代物と異なり、要は現状復帰ですから何も残りません。目の前で請負支払や賃金と言う形でキャッシュが動いているうちは言いのですがそれが終わると何もなくなります。技術やノウハウの取得と言っても、そのような無形財産は使わないのに越したことがないので、なんとも形容しがたい摩訶不思議な事業形態が残ってしまいました。

オリンピックを一過性のイベント、ただの運動会と冷めて見る向きもありませんが、先の東京大会の興奮をなんとなく覚えている年代にとっては、やはりあの感動や熱狂は捨てがたいものがあります。 しかし、除染や汚染水処理は確かにお金は動くものの、有形無形で後に残るものはありません。これを産業と勘違いをして、復興のための産業創出をないがしろにするような愚は何とか避けたいものです。もちろん猛暑や豪雨の中除染をしている作業員の皆さんには「感謝の意」を表しながらですが。
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テーマ:ほっとけない原発震災 - ジャンル:政治・経済
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