場所を変えて福島市内あとこちで除染の作業現場を目にします。当初の雲を掴むような作業から、作業の要諦も見当がつき始めたようで、大量の水も使わず手際も良くなって来ているように見受けられます。

関西の方からやって来て、水で流すのは放射能を移動させるだけとのことで、接着剤で放射能を着ける除去する方法を提案して、受け入れないと見るや協力者に挨拶載せずに「なしのつぶて」を決め込んだ某大学教授など、今になっては忘却の彼方で、もう関係者の話題にも登らなくなりました。
ところで、曲がりなりにも除染が進んできてもどうも被災地の気が晴れないのは、連日報道されている汚染水の漏洩問題のせいでしょうか。 漏れてはいない、漏れていた可能性はある、流出はしていない、流出した可能性はある、排水路を通じて流出していた。二転三転する発表に日経新聞は東電の情報公開の不手際とオブラートに包んだ表現をしていますが、要は「実態の隠ぺい」があからさまになったと言うことで、国民や世界のメディアからすると事故処理が順調に進んでおらず、東電や国の発表内容など当にはならないないという印象をさらに強力に植え付けてしまったということでしょうか? また、報道の映像を見てどうもしっくり来ないのは、原発の運用や事故処理に当たって数々の不手際が露見してきた原子力規制委員会の担当者が、漏洩の説明をする東電職員を叱る場面。事故処理はとうに民間企業の処理能力の範囲を超えており、汚名返上とばかり東電の失態をあげつらっても問題の解決にはならないようなぎがします。 もっとも古くからの民間と役人の関係で、「役人に怒られて見せるのも給料のうち」と割り切っているのであればそれはそれで逆に天晴れな役人操作と言えるのですが。いずれにしても「腹芸」「死んだふり」「嵐が過ぎるのを待つ」などの芸当で凌げる状況ではないことだけは確実です。
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テーマ:ほっとけない原発震災 - ジャンル:政治・経済
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