福島の北部では、まだ桜が本咲きになる前に春の嵐が行過ぎました。では、ゆっくり花見かというと、どうもそのような気にもなりません。
遅ればせながら、全く遅ればせながら30キロメートル圏外でも自治体による「除染」の対応が始まりました。面的除染といえば聞こえはいいのですが、塵掃除なみに枯れ草や落ち葉・側溝の汚泥などを集めています。それでも「塵も積もれば」の格言どおり、膨大な汚染物質が出てきます。
中間貯蔵施設がないのが最大の問題なのですが除染によって生じた廃棄物の行き場がありません。中間貯蔵施設といっても現実的に最終的な保管施設であることは明白なため、設置や建設も容易ではありません。結果、仮・仮置き場的に道路端に野ざらしと言う事になります。木の芽が膨らむ中、異様にトンバックだけが目立ちます。

このようなことには驚かなくなったこちらの神経も「如何かな」とも思うのですが、先ずは一々反応していたのでは「身が持たない」というのも被災現場の実情です。
とりあえず、政府や行政機関の流す情報による「現行程度の放射線量による人体の健康に与える影響は無視できる程度」を信用するしかありません。 「無理に信じ込むことにより安心させようとしているのではないですか」と、うがったことも言う自称進歩派の論客もいるのですが、放射能災害以降2年の論調を見ていると放射能の影響を、「それにしたって本や商品を売らんかな」の不安煽りとしか見れないことも多くあります。
原発事故の水素爆発時に飛散した放射性物質が露地に置いた堆肥などの付着し農業用としては使用できなくなり、しかも汚染物質として行き先が決まらないため各自の保管がが要請されました。 それから2年、保管の形が出来て実行されましたが、これも暫定処置以外の何ものでもありません。2年もかけて何をしているんだという現場の怒りは嘆きに代わっていました。


不安を煽るような情報は瞬時に駆け回り、現場の事故処理対応はカメの歩み。いびつな時間軸の中を3度目の春が通り過ぎます。
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テーマ:ほっとけない原発震災 - ジャンル:政治・経済
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