新年早々、マスコミに「手抜き除染」の文字や情報が躍っています。 東電福島第一原発の事故現場から同心円で30キロメートル圏内は、何れの自治体に係らず国直轄で除染を行うこととしています。線量に関わりません、いわば環境省が直接行っている除染現場で手抜きが行われているとの報道なのですが、考えて見ればこれほど手抜きのし易い所はありません。相手は目に見えない放射能、線量を測っても最初から高かったといえば済むこと。住民は避難中ですから人の目はありません、たまにやってくる監督者の目を盗めば杜撰な管理はたやすく出来ます。環境省の職員といっても、ほとんどこの事故処理のために雇用された現地採用者、現地採用といっても土地の人ではなく福島事務所の採用という意味、べつに除染現場の地理を熟知しているわけでもありません。

このような看板を街中でも見かけます。ここは国直轄の除染エリアではないので、ここで手抜きが行われているわけではありません、どうやら総合的に一大公共事業を提供してしまったようです。 公共事業は無駄つかいとかとは言われますが、様は跡に端やらトンネルやらは残るわけですが、この作業の後には膨大な汚染物が残るだけで、その行き先さえ決まりません。

いたるところにスーパーゼネコンの看板を見るようになりました。高速道路や新幹線の建設中もゼネコンが遣って来て、浩二の終了とともに去ってゆきます。しかし、あの頃は時代が変わる、便利になる、東京が近くなるという高揚感がありました。
形は変われど、これらの新(珍)公共事業も時代が変わる役目を果たして欲しいと思っています。難しいことではありますが。
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テーマ:ほっとけない原発震災 - ジャンル:政治・経済
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