師走の雨が静かに落ちてきます。「いつもと変わらぬ年の瀬」といいたいところですが、そうもいえない風景があちこちに広がります。

まずは除染、公共施設から民間の住宅に少しずつ進んでいます。中間貯蔵施設はおろか仮置き場の設置もままならない中で、一旦埋めて遮蔽シートで覆い搬出先が決まれば掘り起こす2重3重の無駄な仕事ですが代替の方法が見つからない限り、それはそれで繰り返していただかなくてはなりません。 何の瑕疵のない地域を突然襲った災害は国策によってもたらせたもので、原形に復帰しないうちは何の論議の始まりません。
永年の国策の結果とは言え、余計な混乱を招いた当時の最高責任者がビール箱の上で「反原発」を訴えるのも芝居がかっていて「ポピュリズム」という言葉しか思い浮かびませんでしたが必死のパフォーマンスの結果首の皮1枚で繋がったようです、またお遍路の旅にでも出られるのでしょうか。

お遍路の旅に出るような時間も資金の余裕もありませんが、暮れのあいさつ回りで通りなれた道を行き来しながらも新しい看板に遭遇します。二本松では浪江町役場に遭遇しました、あちこちの仮設に分散していると聞いた浪江町民も比較的に本松に多く居住していて仮設役場はに二本松市にあると話には聞いていました。

バブル期に造成された工業団地、バブルの崩壊や円高で思うように用地が埋まらず、萱やセイダカアワダチソウが生茂っていた工場用地、海外に移転した企業の居抜でしょうか工業団地の中に臨時の役場がありました。これも何か日本の縮図を見るようでなんともやりきれない風景です。
とりあえずここが復興の拠点です、お互いがんばりましょう。
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テーマ:ほっとけない原発震災 - ジャンル:政治・経済
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