都知事選が始まり、衆院選挙も間もなく公示。脱原発、反原発、卒原発、どのように違うのか分からないような主張のオンパレードです。
東電の福島復興本社は双葉郡へ、福島県も中間貯蔵施設の調査容認へ遅れに遅ればせながらですが福島でも少しずつ動きが出てきました。動き出したといっても何か具体的な目処が立ったと言うようのことではなく、とりあえず何かしらと言う程度のもの、復興とか希望とか未来像とかとは程遠いものです。

農家グループの忘年会にお招きに預かり、会場の温泉までナビを頼りに普段はめったに通らない峠越えをしました。昔から地域の境は峠や河川、複雑に入り組んだ境界線のなかに避難区域や警戒区域がありました。

放射線量と行政区分は一致していません。同じような線量でも人っ子一人いない避難地域と、通常の生活が行われている集落と道続きに存在いています。 地震の乾物もそのままに時の止まったような道路から5分も走ればGSが通常通り営業しています。峠の茶店は袋小路になってしまったわけで売上げは激減でしょうが、賠償を貰っての仮設暮らしと「どちらを取る」と言われても即答は出来ないでしょう。

事故の発電所に近い阿武隈山地は、永年熊は生息しないと言われていましたが「熊注意」の看板があります。見るとここは浪江町、帰宅困難地域を多く抱えた町で太平洋から山間部まで蝶が羽を広げたように、海山川と様々な地域を抱えています。熊よりもっと厄介なものが天から舞い降りてしまいました。 聞けば人影のいなくなった避難地域ではや野生動物の楽園と化しているとのこと、猿、イノシシが戯れているそうです。

海に面した浪江からもう少し内陸に寄ったところにある伊達郡川俣町山木屋地区、ここは地区全体が避難地域です。高原地帯でやませの常襲地帯、米が採れないので畜産や葉タバコが盛んでした。冬の寒さを利用して田んぼに氷を張りアイススケートで子供を育成してきました。水源を生かして環境と農業の共生を図ろうとしてきた看板が皮肉な事になってしまいました。 ここの地区に多くは麓の川俣町内で多く暮らしています、除染が終わり鳥よりは帰還したとしても、田んぼのスケートリンクで、真っ赤な頬っぺたで田んぼのリンクでスケートをしていた子供は戻るのでしょうか。多くの葛藤と言い知れる不安が渦巻く地域で、かつて地域のあるべき未来をを語っていた看板だけがひっそりとたたずんでいます。
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テーマ:ほっとけない原発震災 - ジャンル:政治・経済
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