
また今年も、なんともやるせない風景が現れています。いつも書いている特産の「柿」。あんぽ柿原料ですが、今年も加工が出来ずに柿木の根元にうち捨てられています。 先日は県とJAが柿の木のセシウム分布を調べるとのことで、柿の木を切り樹木の部位ごとに分析をしてみるとのこと、JAの幹部は「来年こそは加工を再開したい」と語っていましたが、「今頃する調査か」と思ってしまいます。 調査をしてみたところで、樹木のなかのセシウムは取り出せるわけもなく、究極の対応は柿の木を伐採、土壌の除染つまり表土を剥ぎ取り、新たに柿の木をを植えるしかありません。

俗に、桃栗三年柿八年といいます。八年で生りはじめても、収穫量のピークはもっとあと。つまり10年は収入度外視の管理作業に追われることになります。 これが現実的かどうかは別にして、先の見えないなかで、黙々と売る当てのない柿を収穫して打ち捨てる作業は農家にとって拷問に近いものになります。 賠償金は入るといっても、単年度の話。何代にも亘って継続してきた生産技術、何十年課かかって作ってきた柿の畑と加工や管理体制、その施設と備品ノウハウ、そののようなものが全く先が見えません。

15日は東京でした、デパ地下の食品売り場を覗くと「あんぽ柿」の表示で干し柿が飾ってあります。えらい高い価格でした、産地を見ると「富山県」富山の砺波地方も柿の産地ですが、あそこもあんぽ柿というのかと複雑な尾もいて見てきました。 仮に近い将来セシウムリスクが減り、福島産の加工・出荷が再開されたとしても、放射能災害前の需要や販売量が保障されているとは到底思えません。消費者イメージ、産地間競争、栽培農家の高齢化、多くの要素を抱えながら被災地の混沌は続きます。
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