実は前回のブログに書いた野菜取引のマッチングフェアは10月31日。1週間以上ブログの間隔が空いたのは個人的な理由です。 その31日に伯父が亡くなりました、父方の伯父ですがその父も体調が優れず、いわば代理の形で通夜・告別式、初七日まで済ませているうちに月末、月初めと重なり、まさにてんてこ舞いの1週間でした。

数えで米寿、かなり少なくなった大正生まれです。自宅近所の古老が弔問に来て、それも歩いて見えられ「未だ若いのに」と言ったのには驚きましたが、そのご老人今年の暮れには満百歳だそうで、また近所の同級生も百歳がいて、町内の男の同級生でともに百歳と言うのは、とても珍しがられるそうです。高齢化社会とは言え百まで生きるのは女性が多く町内会で同級生の爺さんがともに百と言うのはやはり相当な吉祥です。
伯父を含めて大正生まれ、戦中・戦後の激動の昭和、平成ももう直ぐ四半世紀。福島の片田舎で農村の栄枯盛衰を見てきたはずです。林業、養蚕の衰退、過疎と離農、そのような時勢に抗うように守り育ててきた特産柿の加工品「あんぽ柿」。 まさに11月は収穫期、オレンジの柿の実が狂ったように文字通りたわわに枝に付いています。

柿の木の特性に「隔年結果」と言うものがあります。1年おきに裏年と表年を繰り返します、表の年は豊作、気象条件とは別の要因で多くの実をつけます。今年はその表年、さらに柿にとって気温や雨も適していたようでまさに大豊作。狂ったようにとが表現しようのない生りの見事さです。

そして以前もお伝えした「悲しい現実」、この地方の柿の加工は自粛。柿の実に含まれているセシウムが干燥により濃縮され、食品の安全基準を超える恐れが出てくる・・・と、言うものです。なので、このたわわに実った柿はやがて地に落ち朽ち果てます。
これも以前に書いたように、食糧といっても嗜好品の「あんぽ柿」が一旦売場の棚から消えれば復活させるのにどの様な苦労が伴うか。その意味であんぽ柿のセシウム禍はまだ始まったばかり。このような産品を育ててきた古老の悲しみ、離農が続くなかで干し柿加工を取り入れて農業経営を行ってきた現役世代、まさに怨念と悲しみ、将来亘る生活不安が交差するようです。
昭和恐慌、終戦、高度成長とバブル崩壊、彼等が経験してきた激動と比べて放射能災害はどの様なものなのでしょうか。震災直後に有った時代の大転換期と言う論調は後退し、他国の選挙に関心を寄せている「能天気」ぶり。 原子力災害の責任と後始末を、一私企業に押し付けて平穏を装っても日本経済を牽引してきた家電大手の衰退などこの国の変調は明らかです。
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