
郡山市で食品商談会があり、迂回しながら食材サンプルを調達しながら会場へ。 第一原発から30km近くまで行ってきました、福島県田村市の東端、このあたりは水素爆発時の風向きの関係で幸いにも全量が低い地域、放射能汚染のリスクは非常に低い所です。 震災前に立てられた発電用風車、まさに現在に至っては「再生可能エネルギー」として花形中の花形です。ところが今日近くを通りかかると風は無く全くプロペラが動いていない状態、これでは電気は起きません。 電気はご承知の通り蓄電するのには多大のコストがかかり、営業ベースでは出来ない相談。従って洋上発電など常時風が吹いている所に施設を設置するのでしょうが、設備コストが膨大になるのは素人が考えても分かります。 無風により風力発電計画に逆風が吹くといった、なんともむずかしい話になりそうです。

「ごちそう満喫フェア」という、6次化推進イベントが開催されるコンベンション通称「ビックパレット」。今回の商談会場でもあります。 ここが震災から当面、県内最大の避難所でした。避難自治体の仮役場が2ヶ所置かれ、視察に訪れた当時の菅首相が帰ろうとしたときに呼び止めた避難者の映像は何度もテレビで流れました。 避難者が仮設住宅などに移って施設の改修も終わり、震災以前の体制に戻りました。しかし、たった1年前には野戦病院のような緊迫感と絶望と怒りが渦巻いていたことを思うと未だにある所の感慨を禁じ得ません。
公共事業が減少し浩三的な不振に喘いでいた建設業は、除染特需で息を吹き返しています。反面食品産業は先の見えない風評被害で塗炭の苦しみを味わっています。 茫々夢の如し、罪の無い地域と生活者を巻き込んだ歴史的な大災害は、また少しずつ歴史とともに動き出しています。
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テーマ:ほっとけない原発震災 - ジャンル:政治・経済
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