
先日このブログで、伊達郡桑折町の仮設住宅を紹介したら、「もっといいところも紹介しろよ」という注文が入りました。 ここは奥州街道の宿場町であり、銀山で栄えた町でもありました。今は桃を中心とする農業も盛んです。 こちらは「空梅雨」とはいえないまでも、九州のような大雨ではなく、いわば小雨が降り続く梅雨らしい梅雨です。梅雨の中休みに旧奥州道を辿ってみました

ここが奥州街道と羽州街道の分岐点。出羽に向かう道はここから山道になり、小阪峠を越えて七ヶ宿へここでさらに分岐し本道は上山を経て山形へ。南西に分岐した道は米沢へさらにその先は長井、小国を経て越後に続きます。 山形から先は庄内を経て横手、秋田、大館から津軽に入りそこで奥州街道と合流します。 江戸へ出向く紅花商人、酒田の豪農や、佐竹の殿様などもかつてここを通ったことでしょう。そして、後世は藍染の暖簾の隣にある「がんばろう福島」の現在をどのように伝えるのでしょう。
一歩、一歩前には、まさに奥州街道や羽州街道の旅人の姿です。

やはり、この追分のそばで珍しい乗り物に出会いました。さすがに江戸時代の街道ほど古くはありませんが、梅雨の水滴を載せて身体を休めているように見えるGTR、エンブレムが燦然と輝いていました。いわゆるケンメリではなく箱スカのGTR。 このところ日本の製造業も暗い話題が相次ぎます。液晶で名を上げたシャープもテレビの不振で台湾のメーカーに吸収されてしまいそうな状況とか。 このJTR誕生が、米国の自動車市場で「安かろう悪かろう」で苦戦していたダットサンが、技術の日産として世界に飛躍するターニングポイントになった頃でしょうか。 福島のターニングポイントはどこにあるのでしょうか。とりあえず、なんといってもやはり「がんばろう福島!!」そして「がんばろう日本」。
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