飯館村から避難している知人が東電を提訴しました。 本人から聞いたのではなく、報道機関からの情報をネット上で知りました。今日から24年度が始まりますが、我慢強いといわれてきた福島県人も、そろそろ行動を起こし始めたようです。
今まで、住民側からの情報発信に多少違和感があったのが「誰この人?」としか思えない人が、このときばかりとTVやメディアでパフォーマンスを繰り広げてきたこと。地域や社会活動家としてとんと聞き覚えのないいひとが、○○の代表としてメディアに出で、苦悩する住民代表としてVIP扱いされていました。メディアとしてもセンセーショナルな方が商売上都合がいいわけで、共存共栄の関係だったのでしょう。 むろん多くの人たちがこれを機会に声を上げるのは全く悪いことではありませんが、その見解が多くを代弁していると思われても困ってしまいます。
ここにきて、「情報の取捨選択」が進み、国民の関心事も「フクシマ」から「自称霊媒師」「あっちゃん卒業」に移って来ているようで、打ち上げ花火がごとき活動家、実践家はメディアからも地元からも飽きられたようです。
 福島市の東電損害賠償相談センター 賠償に土日もないのですが、ここはしっかりと休んでいます 日曜や休日にしか相談に行けない人も居そうなものですが
そのようなパフォーマー訴訟はともかく、原発事故後の非常事態の情況が固定してくるにつけ東電や政府の賠償や支援の「影」も目に付くようになりました。飯館村の知人の「提訴」も被災者の現実が、東電の賠償とかけ離れたものに映るからでしょう。飯舘村は典型的な中山間地、広大な森林と農畜産業以外主産業もない村で知人たちは永年地域活性化に取り組んでいました。国や行政の方針に比較的従順だった彼等も堪忍袋の緒が切れたようです。 報道によると、東電の慰謝料は実態を反映していない「生活基盤を失った苦悩や不安が考慮されておらず不十分だ」と言うことです。
この件で知人と話してはいないのですが、私たち農業関連産業を含めて、大勢の被災者・被害者が抱えている問題です。 私たち事業者に対する賠償も、いわゆる「遺失利益」の賠償。収益を損ねた分は賠償するという考え、農家に対する賠償も同様です。粗利から経費をを差引いた分についての賠償は事業者の実態に即していません、事業は事業資金が回ることで維持できるわけで、利益分だけを補填されても当面の生活費が出るだけで事業の存続は不可能になります。賠償期間も当面の間として特に規定はなく、中断していたものを「では始めてください」といわれても経済活動は事実上不可能です。 その期間中の機械設備や販売機会の休止は、事実上事業の存続の停止と考えなければなりません。
 東電損害賠償損害センターの道向かいは皮肉にも福島市健康保険センター 前庭も除染作業を終えていました
東電の損害賠償センターの係員は、毎日除染をどのような気持ちで見ていたのでしょうか。交渉をした実感としてはセンターの担当者は実質何の権限もない「謝り屋」で、東電本体に鎮座する、弁護士・税理士の実態がちょっと酷すぎるというのが印象です。文部科学省で賠償指針を取りまとめた内容が禅問答のようなもので、それをタテにエビデンスと称して社会通念と乖離した文書を求めたり(例えば営業活動中の議事録)交渉は姿勢はまさに悪徳弁護士・税理士の極みといえます。東電にカネで資格を売った存在といわざるを得ません 事故から1年以上も経過し年度もさらに改まり、非常事態も日常化してくると今まで通り耐え忍ぶだけではなくなります。全国に皆さん、福島のこれから、見ものですよ。
 各公園に設置されている空間線量計 こてを見るとスターウォーズのロボットR2-K2を思い出します
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テーマ:ほっとけない原発震災 - ジャンル:政治・経済
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