それにして、もとんでもない1年でした。
穏やかな新年から、寒を過ぎ日脚も伸びて春の兆しが見え始めた3月11日。以来、生活も仕事も一変してしまいました。 3月11日は金曜日、その週初めは東京で農産物の商談をしていました。季節はずれの大雨の中訪問先に向かったことを覚えています。 夏場の新規の取引や都合によって途絶えていた納品の復活など、いくつかの手ごたえがあり今年のシーズンに大きな期待ができる実感がありました。
そこに降って沸いたような「未曾有の大震災」、その後の放射能災害と状況は一変してしまいました。 情報は寸断され、福島はまさに「負」集積。民間では成すすべもありません。国や県も非常時にこれほど当てにならないものかとただ呆れるばかり。
震災直後は1年辛抱すれば展望は見えてくるはず、「どうにか1年凌げば」と考えていましたが、震災から9ヵ月半、セシウム汚染が次々現れ、事態の収束が見えてきません。
農家が東電に直接賠償を請求する訴訟も起きてきました、もちろん裁判でどうにかなる問題ではありませんが、いても立ってもいられない農家の心情もよくわかります。

今のところ、心の拠りどころはこの額の文字でしょうか。 「がんばろう!福島『負けてたまっか!』」 裏づけが何もなくても、当分この言葉を念じて生きて行くしかなさそうです。 個人的な出来事も含めて、激動の1年でした。檄動の1年という言葉が陳腐なほどまさにとんでもない1年がもう直ぐ暮れます。 昨日は冬至、「夜明け前がいちばん暗い」といいます「暗極まれば明となる」ともいいます。今日から少しずつ明るい時間が長くなってゆきます。少しずつでも福島に陽があたる時間が長くなりますように。
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