今日も「計画的避難区」域飯舘村の話題です。 現地調査のため飯舘村に行っていました、農業をしながら喫茶店を繁盛させている市沢秀耕さんのところに伺ってきました。
喫茶店という括りだと市沢さんに怒られるかもしれません「コーヒー専門店」と言い直します。彼とはもう20年数年来来の付き合いになりますか。 私たちがNHKの大河ドラマ「独眼流正宗」が話題になったとき、ふるさと興しのパフォーマンスとして有志で正宗の甲冑(もちろんレプリカですが)を借金して買い揃え、当時情報発信の最先端だった池袋の西武百貨店に出向いたことがありました。 私が後日雑誌の取材でルポライターに「歩くたび鎧がシャキシャキと音を立て、それが借金・借金と聞こえた」と話したところ、件のルポライターが大きく記事にしました。その記事を読んだ知り合いの福島大学の助教授が面白がって、「鎧を着て借金借金」と講演やゼミで吹聴すもので、当時とても有名な話になっていました。
当時飯舘村も「飯舘牛」をメインにした地域機振興を図っていて、その中心だったのが現村長の菅野典男氏で、市沢さんともその頃からの知り合いです。 記事を書いたルポライターは、その後直木賞を取る小説家になりました。言い囃した助教授はそのご教授になり、宇都宮大学に転じ、昨年は有機農業学会のセミナーで基調講演をしていました。
当時市沢秀耕さんは飯舘村職員、引越しの準備に余念がないご夫婦と懐かしい話をしてきました。自宅の下には食材用のブルーベリー畑、軌道に乗ってパテシエが3人になったコーヒー店、すべて置いてここを立ち退く無念は察するにに余りあります、因みに奥さんも元県職員、営農指導員でした。

調査作業中にちょっと私の不手際で水道を壊し、補修のの助っ人に来てくれたのが近所の農家市沢治仁さん。 市沢治仁さんは専業農家で、水田8haカーネーション1200㎡の経営だそうです。去年導入した大型コンバインはは今年は使えず、どこに格納して村を去るのかまだ決まっていないそうです。例え使わなくても償却は残ります。

例年今頃は田植えと花の手入れで息つく暇もない忙しさ、「今頃の山はこの青さなんだな」もう農作業ができない 今年、周囲の山を見渡しての一言でした。 今年の水田の作付けは禁止、5月末で村を避難すること、避難解除の見通しは現時点で立たない、補償はとりあえず東京電力か一時金100万円程度出る模様、この程度しか分からない条件で何の選択の余地もなく村を去らなければならない人々。
「飯館牛」と言うブランドを長年かけて創ってきたこの村ですが、別の意味で「飯館」は世界に知られる地名になってしまいました。
ところで、隣接の葛尾村も今回の避難地域です。ところが「葛尾」の名前がなかなか出てきません。この違いはどういうことでしょう。以前から能動的に情報を出し続けてきた飯舘村、25日には有機農業を党して昔からなじみの深かった「加藤登紀子」が激励コンサートを行うそうです。人知れず村を去る葛尾村の人たち。葛尾村もがんばれ。
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