今年の冬は寒かったせいか、本当に葬式の多い冬でした。暖房がが行き届き、亡くなるのも大抵病院か施設、外気温が暑かろうか寒かろうが関係はないのですが、どうしても年末や1、2月の訃報を聞くと、「寒いから」と言う気になります。
今月の日経の「私の履歴書」は宗教学者の山折哲雄氏、父君が西本願寺系の僧侶だったようで務める寺によって転居をしていた幼年時代だったようです。このところ無神論に話題が移っていましたが、寺と言えば葬式と言う日本人的感覚も一種の無神論か、「苦しい時の神頼み」の神社参拝も一種の無神論か。西洋史観から言えば「神をも恐れぬ」特殊な民族なのかも知れませんが、「神は偉大なり」と絶対神を持つ方々を見ても、逆に「そんなこと言われても」と言う気にもなります。

陽が長くなったと改めて暦を見れば、春分まであと10日、それは日没も遅くなるはずです。よく通りがかる寺院の前も「春の彼岸だよ」とばかりに清掃がされていました、檀家が駆り出されたか。 日本人にはこのような「ゆるい宗教観」があっているのかもしれません、山門が立派過ぎるのは気になるところですが。
スポンサーサイト
|