
今日午後東京電力と経済産業大臣の記者会見がありました。原発事故の今後の対応にむけて、短・中期の作業手順の発表でした。 多くの問題を抱えながらも、収束に向けて少しずつ動き出しているようです。記者から「避難者が戻れる目処は」という質問がありましたが、東電も大臣も答えようがありません、まだ被災地での放射線量や土壌汚染の把握が進んでいないのですから。 避難を強いられている住民、新たに避難指示が出た地域。何の前触れもなく居住地を追われる事態はたとえる事例が見つかりません。 避難指示が出た飯舘村や川俣町山木屋地区は福島第1原発から北西に40キロ程度でしょうか、たまたま爆発等により 放射能が大量放出されたときに風向きが北西で、直後に降雨があり偶然これらの地域に放射能が多く落ちてしまったに過ぎません。他所の事故と偶然から降注いだ災難は運が悪かったでは済まされません。両地域とも原発立地の双葉郡(飯舘村は相馬郡、山木屋地区は伊達郡)とは、それほど結びつきも深くなく、雇用や税収などでも原発立地の恩恵は直接はない地域です。
さてそこからさらに30km、原発事故現場から70キロ以上はなれた伊達市の田中農園さん。有用微生物群で発酵した堆肥を使い、良質の小松菜、ほうれん草も生産してきました。販売先の百貨店、スーパーなどでの販売実績から、特にお願いして栽培面積を増やして頂きました。 直近では堆肥プラントを中心に自家所有200aに遊休農地240aを加え、440aの一貫生産体制が緒についたばかりでした。 ここでは土壌汚染はそれほど深刻ではありませんが、葉物の露地野菜は出荷制限がかかったままです。生産して収穫しても出荷はできません。焼却を許可されていません、山積みにするしかありません。 例年なら緑のじゅうたんが敷かれたような野菜畑が雑草防除のために耕運されたままで、いつ来るか分からない解除の指示を待っています。 パートのおばさんや常時雇用の作業員の姿もなく、スプリンクラーだけが農地を見守っていつようです。
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たまたま先々月NHKの取材に、新しい生産流通方式を希望に満ちた表情で紹介していた田中さん。 3月11日の「暗転」は、いろいろな地域でそれぞれの夢や生活をも変えてしまいました。昨日お会いした衆議院農林水産委員長の山田代議士(前農林水産大臣)、とりあえず一時金で農家の生活保障には責任を持つと言われていました。 お金も大切ですが農業生産者の夢とプライド、これからへの希望をどのようにしてつなげて行くか。先の見えない中、山積した課題との戦いが続きます。
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