以前乗っていた四輪駆動車は、運転席は2トントラック程度の車高があったのですが、故あって普通ワゴン車に乗るようになり一段低い位置から外を見上げる用意なりました。
今仮置き場に運搬中の除染廃棄物の掘り起こした後の埋戻し用か、砂運搬の大柄ダンプの後ろにつけました。

道路除染に農地除染、そして仮置き場に運搬。これから仮置き場から中間貯蔵施設の運搬があり、さらに影も形もない「最終処分場」へ、影も形もないので「空手形」と言われても仕方のないところ。 「責任をもって」と言いつつも、そもそも責任の所在が明確ではありません。
ある週刊誌が、「朝日・毎日新聞が執拗に「東電」いじめ」をしている、と言う記事。刈谷柏崎原発の再稼働にむけて安全対策を実施中の東電に対して、安全基準以上の無理難題を要求しているのが、両新聞と言う記事。 東電が一応民間企業である以上は、利益率の向上=コストダウン=原発の再稼働は、企業として要求する道筋であるという主張はよくわかりますが、御用系の学者が言う「自己総括は終わった」というのは甚だ疑問。裁判も1審が幾つかの判決を出したばかりで、東電側も控訴の模様。たしかに、責任をうやむやにするような社内事故調の報告書はしばらく前に出ていますが。
ならば、懐事情の故か「東電の被災者いじめ」はなんのなのか、その原資を稼ぎたいからの再稼働と言うのは「本末転倒」のそしりは免れないように思うのですが。

見上げれば新幹線。原発はなくとも社会は動いているように見えます、もっとも「2酸化炭素は見えないだろう」と言われれば確かに見えません。見えないことをいいことに「誤魔化そう」とすると神戸製鋼のようなことになってしまいます。
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