メールやら電話を何件か頂きました。原発事故訴訟の一番大きな訴訟団の地裁判決、結果を伝えるテレビニュースには「勝訴」「国・東電断罪」の幕。そのニュースで幾つかのお祝い?の連絡、「俺原告じゃねえし」「今回の裁判とは関係ないです」とお断りしつつ、「当然と言えば当然」と言うのがその印象です。

大地震の挙句に、降って湧いたような放射能禍。当時は中学生とこれから中学校に入る2人の子供を抱えて、福島原発事故100㎞以内はチェルノブイリなら避難相当区域との情報があり、フランスから来たと言う救護団の日本人としか思えない団員は町中の屋内でも防毒マスク。彼らの言う「体内被曝」に防毒マスクが効果があるとは思えず、「YOUは何しに日本へ」と今なら言うところ。同様な日本人・外国人も大勢おとずれ混乱に拍車を掛けつつ、しかし住民としては、ただ「ご支援ありがとうございます」としか言えない先の見えない頃でした。 したがって避難・混乱・葛藤は日常で、国・東電の責任は当然のことと言うのが被災地の実感。
別にそれは国や東電の責任ではなく、別の情報を流布した側の責任と言いたいところでしょうが、特に東電の事故前後に関わらず、都合の悪いことは隠蔽する体質は相変らずで、国や県も「手を焼いていた」印象があります。
手を焼いていたとしても、事業者に適切な管理・指導をするのも国の責任でやはり責任は免れません。 全て「慰謝料に換算」とは言いませんが、荒廃したセイダカアワダチソウの水田の向こうトタンの陰は「仮置き場」。原発事故の後遺症は過去のことではありません。
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