東日本大震災が、[首都圏とかでなく東北だからよかった]と言う発言で、今度は一発で復興大臣の首が飛びます。 ご本人は佐賀が選挙区だそうですが、薩長土肥はまだ「白河以北一山百文」の意識なのかと言いたくはなりますが、この前の「自己責任」の遣り取りを聞いていても、政治家には不向きなエキセントリックな性格のようで「個人の資質」ということかも知れません。
東北各地から「怒りの声」の報道ですが、やはり福島の捉え方はもう少し複雑です。絶対安全・事故はありえないと称して建設・稼働していた原発を福島・新潟と言う供給エリア外に作っていたこと。事故が起こった時に被害が抑制される「片田舎」の方が立地に適している、と言う判断以外合理的な理由が見つかりません。と考えると、やはり東電は2重3重の嘘・偽りで原子力事業を行っていたことになります。

さて、今頃の時期になると新一年生も少しは学校に慣れたようす。

晴れた日には保育所か何かでも公園で子供を遊ばせています。

このような場面に出くわすと、つい写真を撮りたくなるのには理由があります。6年前の震災による原発事故直後、住民特に子供や妊婦に対する放射能の影響が懸念され、公園での外遊び等は出来る状況ではありませんでした。しきい値の議論もそれ以前の、データ判断の次元でまとまりが着かず、メディアも被害を大きく言う専門家の方のインパクトを求めているようにも見え(全部とは言いませんが)、情報に振り回される住民の混乱ぶりを好んで報道しているようにも見えました。
ですから、まだ多くの事故の後遺症はありますが、取り敢えず「子供が春の陽を浴びて元気に外で過ごしている」光景を見ると、なんとかここまで回復と安堵しています。
ところが、最近は子供特に「女児」の写真など撮っていようものなら、「変質者」扱いになる困った現象も起きていますが。
で、原発事故直後の話に戻りますが、行政からの御達しは全て行動は「自己責任」、子供を外に出すのもプールに入れるのも、一応安全の基準になるデータは示すものの、判断と責任は「自己責任」。 放射能の影響など、専門家でも見解が分かれ、絶対事故はないと言っていた原子力行政もあにならなくなっていた状況で、しかもメディアは多様な情報を伝える中、放射能にはほとんど知識のない一般市民に「自己責任」での判断を押し付ける当時でした。
ですから「自己責任」といわれると、なんとも責任逃れの行政担当者の姿勢が思い起こされます。今回の大臣辞任(実状は罷免とも言われますが)、「自己責任」の前回発言の段階で自己で責任を取ってもらう必要があったように思います。
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