日経紙の伝えるところによると、「東電労組が2%の賃上げ要求」とのこと。事故の賠償を行っている最中であるが「士気の向上」「人材確保」のためには必要と経営側に訴える、との事だそうです。
以前の果樹園や水田に構造物が立ち始めて2年。その骨格が見えてきました。予想よりかなり大がかり「復興住宅」です。県内に何カ所か建設されているうちの一つ。

小学校を挟んで同規模の団地がもう一つ。 裏を返せば、避難をして行き場を失っている人がそれだけ多いということ。残雪の残る果樹園では選定作業の只中ですが、「農産物の販売価格は戻らず」のなかの農作業。
東電の社員も労働者、「原発政策」「経営判断」に従って社業に従事していたのにベースアップがないのは割が合わないと言う意向なのでしょう。 さて、避難地域の中で唯一診療を続けていた「高野病院」、暮れに常勤医の高齢の院長が火事による不慮の死を遂げました。2チャンネルでは「原子力ムラから抹殺された」と物騒な情報もありますが、それはともかく、存命中の病院維持のための努力相当なものと伝えられています。 事故現場の作業員など、他に医療機関がないので患者は多かったようですが、事故以前と診療体制も診療の機材も異なり対応に追われていたそうですが、社会的な使命として診療は継続。 しかし、東電は「診療報酬は確保できている」と杓子定規に賠償を認めない方針で、裁判外手続きである程度のは得れたようですが、病院側は「とても和解といえるものではない」という見解。
それぞれの内容は、伝聞によるものなのでこれ以上の推測は避けますが、継続する被害、埋め切れない賠償、我々は労働者だ、どうも割り切れません。東電の社員給与も事故前の5%減まで回復しているとのこと。それ以前の給与水準を考えると、やはりある意味原発事故のとばっちりで社業が傾いた「東芝の社員の身になれ」と言いたくはなります。 もっとも、東芝さんも「同じムラの住人だった」と言う声も聞こえてきそうですが。
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