師走のあいさつ回り、足を延ばして旧避難区域へ。「福島県外の方はわかり難いでしょうが」と言っても、県内の人間でもわかり難い避難区分、原発事故現場の周囲はともかく、爆発時の風向きや降雨によって飛び地のように「帰還困難地域」が存在します。 福島第一原発の同心円には関係なく、放射性セシウムの影響が少なかった避難区域が順次避難解除になっているのですが、5年経過して「戻れますよ」といわれても生活インフラや仕事、子供の学校も含め「戻ります」と言えない状況が続いています。

南相馬市小高区の以前お世話になっていた野菜農家、外部から立ち入りできるようになってから何度か寄っているのですが、当初の「取るものもとりあえず逃げた」ビニールハウスの切れ目から、雑草が吐出していた惨状から除染も進んでいるようです。 生活感のない集落に、除染作業員だけが陽の光を惜しむように作業をしていました。 道路の周囲もきれいに表面が剥ぎ取られています。

雑草が繁茂して伸びるに任せていた庭木もきれいに切り込まれています。逆に生活の形跡がないところに人の手が入った跡だけがあるのも違和感のあるところですが。
 そして、表札と郵便受けには固くテールが張られ「もうここには戻りません」と意思表示をしているようです。 こちらの消息を知らせる「ご挨拶の品」を置いて来るのが通例ですが、ちょっと置いてこれないような雰囲気でした。 春を待ちわびるように、こちらから東京のデパ地下に「グリーンアスパラ」を送っていました。まさに、あのころが夢のようです。
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