12月も半ばになると、柿の加工(つまり皮むきと硫黄燻蒸)を終えて、順次出荷になる時期。

しかし、高齢化が進む農家で、原子力災害によって一旦途切れた生産をもとに戻すには容易ではありません。作業の繁忙期だけ手伝ってもらったパート労働力は別の仕事に移っていて、今更来てくれと言うわけにも行かず、経験のない人に一から教えるのはまた大変です。その上、失った販路確保もあって3重4重の苦労が付きまといます。「最新の計測機器を入れたので個包装も対応」など、気楽なことを言っているのは一握り。もっとも、そう言わざるを得ない立場の人も存在するのですが。

事故前に整えた干燥設備にも空きが目立ちます。6年近く経過すると「元に戻す」というより「新しい産業を作る」感覚が必要なのかもしれません。
この地方で高品質の干し柿「あんぽ柿」が生産できたのは、「阿武隈川から立ちこめる朝霧による」という説があります。 その阿武隈川では、冬の使者「白鳥」が、鳥インフルエンザの感染源の可能性としてすっかり厄介者扱い。もともと野生動物への餌付けは、賛否が分かれるところですが、かつて悠然と白鳥は飛んでいた辺りには白鳥の影はなく、ただ一つ白いものが動いていました。

よく見ると、はぐれたような「鷺」が一羽。水面から飛び立ち河原を抜けて竹藪の陰に消えて行きました。白鳥には何の罪もないのですが、間が悪いとしか言いようがありません。毎年毎年同じような生産活動をしながら、100キロ近く先の原発事故で突然マーケットから「厄介者」扱いされるような農産物と被るような気がしてします。
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