「原発事故の賠償金は新電力も負担」「廃炉費用は東電一社」、経産省の苦肉の遣り取りは続きます。「東電を潰してしまうと事故の責任を担う当事者がいなくなる」と、分かったような分からないような理由で存続させた東京電力。 国策民営という複雑な形で推進してきた日本の原子力政策、民間企業は「そんな今さら」と言う気分かも知れませんが、時代劇風に言えば「お代官様」と「越後屋」のようなもの、「いままで随分儲けさせてやった」と返られそうです。もちろんわれわれ下々には知る由もない世界ですが。

桜の後に咲くハナミズキの花、新緑と陽を遮るような緑の葉、いままで楽しませてもらった街路樹も紅葉そして落葉。1年の役目を終えようとするハナミズキを撮ろうとしたら、「除染中」の看板と作業。 事故当年2年目は、「何をもたもたしている早くしろ」「せめて学校・通学路」、庭があるので土を剥がす」といきり立っていましたが、作業の皆さんには申し訳なくも「まだ作業を・・・」という心境。

一刻も早く「事業活動・生活環境を事故前の状態まで戻す」のは当然のことで、これによって生活レベルが上がることでもなんでもないのですが、このような費用を広く薄く電気量に上乗せすることによって「福島のために負担している」という国民世論でも醸成したいのかと疑いたくもなります。
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