先日は阿武隈山系を横断する「復興支援道路」を紹介しました。 今度はいわき市、薄磯・豊間の新堤防建設現場。このあたりは、中小の水産加工、平たく言えば「蒲鉾工場」が多く立地した辺り。津波で根こそぎ流されました。

海岸越しに塩屋崎灯台も望めます。「喜びも悲ししみも幾年月」は大分古い映画ですがその舞台。美空ひばりの「みだれ髪」に唄われたと言うのもかなり古いか。
津波の被害地では、元の地形が分からなくなるほどの工事が進んでいました。不思議なものでかなり内陸まで流された場所もあれば、海の根元でも残った場所があり、まさに神の差配か。

穏やかな凪も、住宅も工場も商店も呑み込んだ痕跡と見比べると一層不気味さが増します。 道の山側には、復興住宅が出来ていました。その道沿いにはコンビニも出展準備中のようで、頻繁に走る工事車両も「復興」を印象付けています。

震災以前は海水浴やサーフィンで賑わったこの海岸、工事が終わったもコンクリートの護岸で砂浜は無くなりそうです。厳密に言えば違反行為なのかもしれませんが、工事の隅間から海に向かう「サーファー」もいました。
とは言え、また津波が来る可能性が否定できない以上「ハード的な対応」、防潮堤の建設や生活圏の移動はやむを得ません。しかし、ある経済団体が言っていた消費行動の問題。いち早く蒲鉾作りを再開した食品加工会社、原材料は地元も水揚げを使わなくとも、「売れない」のだそうです。ハードの対策だけで解決できないのが、福島県の現状です。
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