宗教は何とも難しいものです。と言っても、これまた何度聞いても違いが理解できない回教徒の「シーア」「スンニ」の事ではありません。イスラム教は無論のこと、雑念の多い人間にとっては一神教自体どうも理解しにくいところがあります。もっとも、それらの教徒にとっては「多数の神」がいることが不自然なのでしょうが。
近所の祭礼の出の話ですが、これが日本人の宗教観かと変に納得したことがあります。 久方ぶりの本格的な雨、「雨ふり不動」とはよく言ったもので、ここの「お不動様」のお祭りには時節柄雨が降りやすく、前述の異名がついています。

お不動様こと「不動明王」は道路から奥まった場所のお堂ですが、幹線沿いに祭礼の旗が立てられています。最近この種の旗も印字のものもありますが、この旗は比較的最近、近隣の寺の住職が墨痕で書いたようです、第何世住職と書いてあります。 で、旗の立て主は「氏子中」とありました。不動明王は如来(仏様の最高位)を護るそれこそ守護神で、炎を背負った恐ろしい顔つきの仏様であったはず(正確には、誤りもあるかも知れませんが大筋では合っているとおもいます)。氏子とは神社の信者であるはずで、仏様を神社で管理する何とも不思議な宗教観ですが、あまり難しく考えず、神も仏も同じように祀る。御利益があればみんな同じ、と宗教原理主義者が聞けば腰を抜かすようなおおらかさ。 「神は偉大なり」と人殺しも辞さない宗教観よりは、遥かに理に適っていると思いますが一神教からは「それは宗教ではない」と言われそうです。もっとも一神教の多くが、カルトだと言っているわけではありません。

水田に水を引き込む時期、川もで満たされました。いつも見慣れた川も新緑で覆われ水量が増すと、さも渓谷のように見えるのが不思議です。米の文化に天皇制、日本の宗教観は自然と一体です。
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