1986年4月26日のチェリノブイリ原発事故から30年。日本ではさほど話題にならなかったのは、おそらく熊本地震のせい。そちらに気を取られているのでしょう。東日本大震災でご支援いただいた熊本市の方に先週お見舞いの品を送らせていただいたところ、その26日に無事届いたとのこと。
さて、昨日からの続きです。一般的な認識では、チェリノブイリに比べて福島の放射線の放出量は1/5、幸い海沿い(だから津波に遭ったのですが)であったため、太平洋方向に流出した放射線も多く、今後の状況は予断は許さないものの、原発事故レベルは、同じレベル7でも事故の程度としては福島の方が軽い。と言ったところでしょうか。 もっとも、さまざまな異論があって、「国や東電は重大事項を隠している」「安全ですと言うのは御用学者だけ」という論調もまだまだ多いのが現状です。

「実際はどうか」と言うのは、それこそ30年のさらに何倍かの時間軸を経ないと正確なことは言えないわけで、科学技術や現代医学と言うより神の領域。
上の写真も、ただの空き地なのですが、福島市の方で「仮置き場」として調達できたそうで、今後何年か道路除染(と言いながら主に道路脇側溝の汚泥)の廃棄物置き場になります。仮置き場を調達できたことで、この地域の道路除染がやっと始まると言うなんともやりきれないような進捗です。 とはいえ、なんとか限られた資源をやりくりして除染も進めているところですが、同時に継続的な生活の場でもあるわけです。

昨今違う意味で話題になる「保育所」ですが、ここでも、一生懸命子育てをしている住民もいるわけで、江戸時代でもあるまいし一般市民の得る情報量は相当なもの。

天気のいい日に、一歳児かそこらを近所の公園で遊ばせています。反原発や反核団体などがが(その一部でしょうが)「福島に住めない」などと言う表現は、表現の自由ということは否定にないまでも、ここで住む事を選択した住民への配慮は必要ではないかと思います。更なる風評や差別をどうしても懸念するからです。
研究者なら「住めない」根拠はアカデミズムの場で発表して、反対派を論破すべきですし、ジャーナリストなら「写真の誤用」などジャーナリズムの根幹に関るような失敗は禁物で、「売らんかな」雑誌と言われて仕方のないことです。変に社会派を気取っているところが逆に「狡猾な」印象を与えてしまいます。
九州の復旧復興は大切ですが、福島の方も根深いところに問題を残したままの6度目の春です。
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