今回も引き続き、「電力自由化」について書きたいと思いましたが、21日に文化庁の支援事業の「黒塚伝説」に関わる映画とトークセッションがあり、その感想を。
黒塚伝説とは、通常「安達ヶ原の鬼婆の民話」。現在の福島県二本松市に伝わる伝承で「赤子の胆」を狙う老婆の話。能や浄瑠璃、文楽、長唄、歌舞伎でも上演される演目です。 阿武隈川の氾濫で、集積か周辺の土が流失し露出した大岩を「鬼婆の棲家」に見立てて、能や文楽の物語や地域の伝承と融合しながらストーリーが出来あがり、さらに多くの物語が派生していった逸話がトークショーで語られました。
話の本筋ではありませんが、トークショーの中での逸話です。「鬼婆」と言うものはあるが「鬼爺」はない、逆に「好々爺」あるが「好々婆」はないということ。我々一般人がこのような例を引くと「性差別」になるのですが、高名な民俗学者の発言だと「確かにそうだ」と言う雰囲気になるのはさすがです。

黒塚伝説、つまり安達ヶ原の鬼婆の物語も、子を思う母親の気持ちが鬼に化身したようなもの。女性、殊に母親が鬼に化けて恐ろしい「怨念」になるということらしいのですが。 上映された映画の方は、黒塚の巨石の上で踊る前衛舞踏家がある瞬間に、踊りの舞台が3.11の津波と原子力災害の避難で廃墟になった、浪江町請戸地区の廃校跡や原野と化した被災地域に移ります。

舞台の転換が強引かなと思わないこともないのですが、原発事故で飛散した放射性物質を巡って「安全性」が論議され、先日の環境大臣発言でもわかる通り、定説がないままに、「自己責任においてと」言う責任を放棄したような行政機構の見解のもと、子育てをしなければならなかった現実があります。 原子力災害被災地の母親(父親は違うとは言いませんが)の怨念は凄まじいこのがあって、ただそのやり場(東電・国・県・市町村?)が明確でないところはありますが、決してたやすく怨念が消える訳ではありません。
先日、福島県弁護士会の大会があり、弁護士会も「原子力賠償の継続」を東電に要求する決議をたと報道されました。多少外交カードの性格はあるにしても、韓国での福島県や東北の産品の排除(イベントの中止を余儀なくされた)等々、除染や除染廃棄物も含めて原子力災害の被害や、強いられた苦労・苦闘は依然として継続していてます。 その現状で法律家集団が「原子力賠償の継続」と、わざわざ当たり前のことを言わなければならない現状も異常なのですが、またマスコミが伝える通り、東電の賠償窓口が被災者に対して「かなり高圧的な態度」「請求拒絶」をするようになったとすると、またここで「鬼」が生まれてくるかもしれません。
東電が、被災地の「怨念」を低く見積もって、弁護士会が危惧するように「賠償を約束通り行わない」ような事態になれば、津波のリスクを低く見積もって大災害を招いてしまったように、電力自由化対策かなにかで「商売気」を優先して、被災地の怨念にさらに火をつけるようなことがあれば、それこそ存亡の危機になる様に思えています。 もっとも、そうならない為に「献金」と「天下りの受け入れを」を積極的に行っていました、ということかも知れませんが。
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