会津方面から福島市に抜ける国道115号線、トンネルが出来る以前の「土湯峠」越えの頃は冬季間は封鎖で、49号線の中山峠越え郡山から猪苗代に抜ける道まで南下しての会津行きになりました。 戊辰戦争で鶴ヶ城を攻めるさい、官軍(会津の人は西軍と呼びますが)が積雪前にケリをつけたいため、総攻撃に次ぐ総攻撃をし掛たと言われています。
特に薩摩の出身者など雪の壁には閉口したに違いありません。「昔薩長、今東電」と、何とも怨念の消えない土地柄です。

猪苗代(会津)方面から福島方面に向かい、横向温泉を越えると勾配が増します。皇太子妃が独身時代に小和田家の家族旅行でスキーをしたと言われる箕輪スキー場、青空の下白い雪にリフトが伸びています。遠目にも樹木に雪が貼り付く樹氷もみてとれます。
この撮影した場所から幾らも離れていない場所の同時刻、西側の会津方面を振り返れば夕暮れ真近の磐梯山。

黄金(こがね)の山と民謡に唄われたように黄金色に染まっていました。ほぼ同時刻に東と西ではこれだけの風景の差、何とも幻想的な風景です。 どうもオリンピックの年は各国ともナショナリズムが台頭してきます。お国自慢は風景くらいにしておいたほうがよさそうです。
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