イスラム教のスンニ派とシーア派の区別などても出来そうにありません、大体それらを信仰しているアラブ系とペルシャ系の民族も写真を2名並べられれば見当がつく程度。「各々と成り立ちと特性を述べよ」とか言われても全く歯が立ちません。まして「紙に記入せよ」とのことになれば、署名以外の字を書く機会すらなくなり、キーボードの入力変換機能に頼らざるを得なくたった、能力の低下は目を覆うばかりです。
福島市も郊外、昭和の合併で福島市になったそれ以前は、町だったのか村だったのかと言う辺り、細い路地を抜けると突然モスクが。

モスクと言っても、素人から見ればそのように見えると言うだけのこと、全く違う施設かも知れません。その辺りからあやし知識です。
先日見かけた、旧暦の正月を寿ぐ神社もこの近く、モスクは例外的にも宗教や信仰は結構見身近なところにある国です。先日僧侶の手配をAmazonでもできるようになったということ、宗教行為は商品ではないと日本仏教界は反発しますが、「これで生臭坊主を駆逐できる」という意見もあって、不埒を承知で行く末を興味深く見ています。「商品」でないにしても「サービス」ではあるような気がします。
震災後にアメリカの写真家を被災地に案内したときに、彼女は(NY在住の女性です)仏教徒と名乗りました。避難地域の中の神社仏閣を案内したのですが、スンニ派とシーア派ならぬ、基本的には異なる宗教のテンプル(寺院)とシュライン(神社)の説明でまた手間取り、歴史上で存在した「神仏習合」に至ってはとても思いつく単語が見当たらず、神宮寺(神社の中にある寺)などは全くのスルーでした。

日本人の宗教観、あまり深く考えず、臨機応変必要な時に必要な方を利用するという感覚、敬虔な~とはいえませんが「これもまたよし」なのかも知れません。
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