以前にも書きましたが、避難所→仮設住宅→復興住宅、或いは「帰還」「新築」と避難者は移動や選択を繰り返すのですが、新しい生活は始まると言う華やいだところがありません。 被害を受けて華やぐと言うのも変ですが、節目に「祝う」と言う行程がないと、どうも生活が侘しくなります。 「慰謝料」「財物補償」と囃し立てる声もあるようですが、やっと落ち着くと言う安堵の声がせいぜいで、「関連死」が多いのも頷けます。

お取引様の裏手にある完成した復興住宅、行ったついでに通ってみると、なかなかシックな佇まいで北前船で賑わった酒田の米蔵のようにも見えます。冬の天候のせいもあるのかシックな分、何か沈み込んだような印象が残り、新生活と言う高揚感が感じられません。「思い過ごし」「十分満足している」と言う事ならばいいのですが。
プレハブの仮設住宅も隣の敷地にはあって、うかつに喜べないと言うのもあるようです。地震や津波の被害者もいますが、多くは原発事故で取るものもとりあえずふるさとを離れて、避難所や親戚、旅館等を転々とした挙句に5年近いプレハブ暮らして、何とかコミニティを形成して来たところで、避難者と言う事以外生まれも育ちもかつての生活も共通点はないわけですから、プレハブを出れる出れないも個々の事情と考えたかによります。 「正解」のない世界がここにも見えます。
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