12月になると同じ風景でも印象が一変します。

古刹の山門の脇の柿も、「採られることなく落ちののだろうな」と思う時期になりました。 奈良の「柿食えば」の俳句がありますが、当地方でも柿の産地です。奈良と違って干し柿原料ですが、晩秋・初冬にかけて柿の実が風景になじみます。
俳句と言えば高校生俳句大賞で、福島市の高校生が最優秀に入りました。 そのうちの1句(3句とも原発事故関連ですが) 「フクシマに柿干す祖母をまた黙認」と言うものがありました。飯館村の全村避難で福島市にいる高校生だそうです。 「福島の柿は全部食えないのか」と言うことにもなりかねませんが、何度も書いているように干し柿の場合は放射性物質の濃縮リスクが高まります。流通している「あんぽ柿」は放射能チェックを受けたものですので追記します。
それにしても、飯舘村辺りは「干し柿出荷する」というより自給用、家の柿がたわわに実り、脱渋しても食べ切れない分を「冬の保存食の干し柿」にする、と言う食文化を指している句で、避難を拒む飯館の老人が「百まで生きられるわけでもなし」と言った言葉とダブります。
実際「高額の慰謝料」と言う向きもありますが、福島県内では「営業損害」「資産価値の目減り」に泣き寝入りのケースも多く、「ブランド毀損」「のれん代」に至っては音沙汰なし、永年の努力や労働に蓄積に現在のところ何の補償もありません。

冬の川面は短くなった日差しを映して、きれいに輝きますが、放射能災害の後遺症はきれいに流れ去って行かないようです。 後遺症どころか「実害の最中」そんな怨嗟も聞こえてきそうです。
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