避難者が仮設住宅で過ごし、戻らない・戻れないとなると新居を求めることになります。仮設住宅に残る人も出る人も、個別事情とは言え複雑な心境での別れで、わだかまりも残ると「新聞」は伝えてきます。
新聞も、「避難者の心情を理解しない東京電力の対応」から「支援に頼り切りの避難者もいる」に論調も変わってきました。2度目の検診(2まわり目)でも新たに「甲状腺がん」が見つかりました、福島医科大は相変らず「原子力災害の影響は考えずらい」との公式見解を崩しません。事故後の原発事故の影響なら症状が出るのはもっと後、と言うことでしたが5年近く経過しているので、もっと丁寧な説明が必要です。「福島は捨てられた」という刹那的な見解・情報が行き交う要因にもなっています。

冬の間に果樹が切られ、更地になり一夏雑草が繁茂していた一画、工事が始まりました。「復興公営住宅」と看板が立ちました、仮設を出たり借り上げ住宅に住んでいた避難者の新居になります。戸建も集合住宅かも分かりませんが(おそらく両方)、帰還をあきらめた方々の「新天地」になります。

避難者と一口で言っても、避難区域によって賠償や補償の条件も一様ではなく、戻れない要因も「仕事」「教育」「イメージ」さまざまですし「商店経営」など戻っても事業が成立しないケースもあり、こちらで再就職した場合もあるでしょうし。
「ハコを作ったから一件落着」とは行かない問題も多く存在します。「支援に頼り切りの避難者もいる」では収まらない「避難者の立場」もあります。 この様子だと、安定した生活に戻るには、あと何十年か必要になります。
スポンサーサイト
|