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隈畔(わいはん)
隈畔(わいはん)です、猥談ではありません。古くから福島で使われていた言葉ですが、最近は特に原発事故以来耳にしなくなりました。
阿武隈川の河畔のこと、阿武隈川は白河から福島県を縦断するように北上して仙台空港近くで太平洋に注ぐのですが、須賀川や郡山などの都市も流れるものの隈畔と言えば、福島市の県庁裏手の阿武隈川の河原や遊歩道を指すようです。

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県庁裏手と言っても県庁は以前の福島城址、周囲には寺や御倉跡が点在し、御倉に米を収納するための水運も必要だったため、特にこの一帯は阿武隈川との結びつきが強かったと思われます。

県庁側から見た対岸が、原発事故で取材が殺到した渡利地区。もともと静かな住宅地でした。

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見るとその上空には鳥の群れ。突き出している山が「弁天山」奥州道今の国道4号線から分岐した街道がこの山の麓を通り川俣から浪江に至ります。
その国道114号線が、最近浪江まで通れるようになったとのこと。事故以前は相双地区の農家回りによく使っていました、開通依頼未だ行く機会がありません、帰還者が少ないうえに、残念ながら農業を再開する動きにはなっていません。
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峠の秋
晴天から一転して秋雨、関東の方ではかなりの集中豪雨があったとか、衆院解散も含めて「秋の嵐」か。計算づくの「解散」も突然現れた希望何とかで先が読めなくなりました。看板の掛け替えの速さはまさに光速、それにしても「復興庁」絡みのゴシップは後を絶ちません。

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今日も研究打合せで山形県米沢市まで。福島盆地から幾つかのトンネルを越えてこの間の路線の最高峰、栗子トンネルをくぐって米沢に至ります。米沢は福島に近い割に県境の山々に遮られて放射能の拡散が止められ、福島から多くの避難者が移り住んでいました。「家族を米沢に残して単身父親だけが福島に残る」「一家移り住んで福島に通勤」等々。
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しかるに県境を挟んで福島側はまだこのような有様。仕方がないので、「時間をかけて着々と対応を行っている」と表現しましょう。

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この路線の頂上部トンネルの入り口は、この路線の名物のような「工事中」。並行して高速道路も建設中ですが全く工事の多い道路です。冬季中は雪に閉ざされるので工期がその他の時期に集中する尾かも知れませんが。
交互通行の信号待ちの間に周囲を見渡すと、平地からは1ヶ月は進んでいる秋の気配。

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雨に煙って「紅葉」を見るとは行きませんが、雨に打たれる「すすき」を見つつ、秋の深まりを感じながら仮設信号が青に変わるのを待ちました。
秋の空
金木犀の香りに誘われて空を見上げると「秋の空」。

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梅雨入り前の5月と並んで、1年で最も過ごし易い時期か。春の長閑な、どこか霞んだ青空と違って、冷気を含んできりっとした青空が「秋の空」。

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遠景の吾妻連山も初冠雪まではあと一月、こらから東北の秋は駆け足です。
仕事の途中で車のバッテリーを上げてしまい、ちょいと困っていると自動車保険会社からJAFがきて即座に対応。切ったと思って車を離れている間の放電。バッテリー本体の比重は問題なく、アイドリング行ってからの普通走行で問題なし。

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お陰様で帰路も、公共交通機関を使わずに済みました。
来週は4日間東京、さすがにそちらでは公共交通機関に頼らずには移動できませんが。飯坂電車の車両のふるさと(東急電鉄の払い下げ車両)にも少々お世話になります。
また、金木犀
別に気に留めていなかったことも、気付くと身の周りに相当あることがわかることがあります。今年も金木犀の花が咲いた(咲くと言うのでしょうねやはり)、ことを意識し出すと、結構周囲は金木犀ばかり。
この辺が一目瞭然に「開花」が分かる桜と違うところ。

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さすがに、ひと山全部が金木犀とか、神社の周りに金木犀とは、校門の並木が金木犀とかということはありませんが、庭先に1本の頻度は桜とももう変わらない印象です、もちろん統計を取ったわけではありませんが。

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丸く刈り込まれていたり、伸び放題だったりいろいろなタイプが庭先を彩っています。ドウダンツツジが真っ赤に紅葉する前にこのオレンジと独特の香りは、良いアクセントなのかもしれません。

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見上げるだけでなく、見下ろす金木犀もあります。駐車場と物置の隙間でなんとなく肩身の狭そうな花も、香りは変わらず「秋」を告げていました。

見上げれば金木犀
彼岸の中日も過ぎると、「東北でも金木犀尾咲く頃では!と、庭で木を見上げると金木犀の花。そしてまわりには金木犀の香りが。
香りに気付かず、花を探すあたり「老化現象か」と思ったりするところ。

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これほどの大木「金木犀」は珍しいにしても、その気になってみると、あちこちの庭先に金木犀。やはりオレンジの花を咲かせていました。樹下で香りなどを嗅いでいると「不審者」とも思われかねないので、少々遠景から楽しむのみ。

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このオレンジの花が木の根もとに落ちて、オレンジの絨毯のようになる頃「初秋」から「仲秋」に季節が移っていきます。
彼岸花
北海道から琉球列島まで日本に広く分布するが、日本の固有植物ではないとされる「彼岸花」。秋彼岸の頃に一斉に咲、き赤い花がいやがおうにも目立ちます。

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稲作の伝来とともに大陸から日本に入ったと言われる植物、そういえば昔は田んぼの畔や土手でよく見かけました。水田の基盤整備とともに水田から姿を消しましたが、有毒ゆえ」にモグラ除けなどに田んぼの土手で見かけることもあります。
モグラが穴を掘ると、その穴から水田の水が流出して下手をすると土手が崩れるということもあるので彼岸花でモグラを駆除するということですが、効果のほどは分かりません。

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田んぼの土手から消えた分、住宅後の空き地やら川の土手で見かけます。川の土手で蔓類と共生しているところを見ると案外生命力は強いのかも知れません。弥生時代に伝来した帰化植物の先駆けだとすると強い生命力も頷けます。
義経まつり
何気なく通りかかったら「通行止め」、何かと思えば「義経まつり」なるイベントで町の大通りを占有しての行事のようです。
名前は聞いたことはあったのですが、遭遇するのは初めてのこと。

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義経にふんしたタレントなどの武者行列もあるようですが、とりあえず垣間見えたのは道路の両側の露店とのぼり、商店がの佇まいと言いのんびり歩く人々と頭上の電線、まさに昭和40年代に風景。昨今、地域限定で販売される「昭和の風景」「○○市の歴史」というような写真集のまさにリアル版。
義経の時代まで遡らなくとも、これだけで観光資源になりそうです。ここの町は、商店街の通り(遥か以前はこの道が国道だったのでしょうが)と国道4号線が並行して走り、国道傍は道の駅など商業施設も建設された反面、こちらの旧道はタイムスリップしたように昭和の面影をとどめています。

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町はずれのにある神社もイベント協力の様子、まつりと銘打っていても神社の祭礼とは異なるイベントなのですが「町中一体」ということなのでしょうか。
うろこ雲
いつも行っている駅西口のビル。通常利用している駐車スペースが権雑で左に迂回して奥の方に。さほど離れているところではないものの、車ら降りて見上げると景色が違います。

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いつもはもっと離れてみる二つのホテルも迫って建ち「駅前です」と強調しているようです。東北新幹線開業前はこちら側は「裏口」で、工場と民家と水田で、入組んだ道路しかなかっとことを思い出して、「何を新参者が」と見上げているとこの背後のうろこ雲は昔のまま。
様変わりと言えば、このような場所にも保育所が。某地方銀行が本店予定地として確保していた土地がバブルやらリーマンショックやらで計画立ち消えの末の、行員向けの厚生事業の一環と、真偽は定かでないものの、そのように噂される施設。
いずれにしても、時代の変貌を見るような瞬間でした。
臨戦態勢
臨戦、北朝鮮のことではありません。国内の衆議院選も真近だそうです。東電は既成路線か、廃炉工程の延期を発表しました。ほぼほぼ織り込み済みとは言いながら、根本的な事故対応が先送りの中事故の風化ばかり進んでいて、あまり選挙の気分にもならないのですがこればかりは首相の専権事項なので致し方ありません。

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普段、人気の無さそうな事務所もドアが開き看板が立ちました。もっとも隣りの美容室の看板の方が目立っていたりもしますが。
昔の政治家は、「解散は勝てるタイミング、理由など跡から貨車に載って幾らでもついて来る」と言ったそうです。「解散の大義」を問う野党側の声も「ミサイル」の脅威にかき消されそうです。

街はずれのラーメン店
とある田舎の、街はずれにラーメン店が開店しました。「幸楽苑」の店舗、「会津っぽ」の店名でも展開しているラーメンチェーン。

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チェーンの本部は郡山、創業の地は会津っぽの店名でも分かるように会津若松。別の意味でで高名な「喜多方ラーメン」の系譜ではありません。

これほど多店舗展開する前から、地元のローカルラジオ局でユニークなCMを流していたのでそれなりの知名度はありました。

震災以前、農産物の売り込みで東京の高級飲食を訪ね回っていた時に、地下鉄を降りて地上に出た時の目標にグーグルMapに麻布警察署にマークを入れ、探しているとその麻布警察署の真正面に幸楽苑「会津っぽ」の店舗。当時ラーメン280円の看板、こんな地価の高いところで安いラーメンを売ってペイするのかと心配になりました。
ラーメンで儲からなくとも、人通りがあってイメージの良い場所に看板があると、それなりに宣伝になるのでしょう。


黄金の波
台風の去ったあと、田んぼ目をやれば随分と黄色くなっている稲穂を確認できます。

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台風の雨風で少し倒伏気味、ただしこの程度の倒伏なら稲刈りまで持ち直せます。生産農家が「[UFO]が降りた」と自嘲する、渦巻き型の倒伏もあります。そうなると今の時期であれば、収量はそう落ちないもののコメの品質低下が懸念されます。それよりも稲刈り作業の手間が増大してしまうのが渦巻き状の倒伏、これは今回は台風のせいと言うよりそもそもの肥料管理か。

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散歩の犬が前を通り抜ける水田にも、人知れない苦労がそれこそ渦巻いています。
フェーン現象
台風一過の生暖かい風、フェーン現象です。

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連休の3日目、大雨一転の思わぬ暑さに今年の盛夏時でもなかったような短パンTシャツで散歩の様子。

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ただ夏の気象とは違うのが、ただならぬ空の色。台風の名残をとどめて不気味に光る西の空。
九州・四国から近畿を経て日本海に抜けて北上した台風の、山越しに吹き下した風がもたらすフェーン現象、この山の向こうからの熱波なので通常の夏の暑さとは違います。

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ただ幸い、雨での増水もこの程度。手前の遊水地にも至りませんでした。しかし、局地的な雨で土砂崩れなどあるのが最近の台風の跡、軽微に済んだなどとは、まだ安堵できません。

台風一過
連休を直撃した台風も、当地は夜間に通過したようです。日曜日に通して報道されていた九州地方の水害の映像を見ながら、一昨年裏山から滝のように雨水が流れ、宅地が川のようになっていたことを思い出します。

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台風が通り過ぎた早朝の空、見上げれば台風一過の「秋晴れ」とは言えませんが、吹き返しの生ぬるい風と雲の切れ間から青空ものぞくようになりました。

このくらいの風なら収穫盛期の梨への影響も限定的かも知れません、被害速報が未だなので何とも言えませんが。もっとも風は局地な突風になることもあるので被害がなかったことを願うのみですが、ぶどうや中生のリンゴ、そして赤く色づき始めた主力リンゴの「ふじ」への影響も懸念されます。

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そのような朝でも、新聞は各紙ちゃんと届きます。降り積もる雪の時期よりは楽なのかもしれませんが、それにしても電子情報の飛びかう時代にしっかり根付いた情報伝達手段は、日本らしいテクノロジーなのかもしれません。
模様替え
東京から戻れば一気に秋が深まっていた・・・。などと言うことはなく、全国共通の話題はまたもミサイル。下から見上げれば金木犀もわずかにオレンジの花をつけ始めましたが「一面に香る」とまで行きません。
月半ばの連休を見計らったように「台風」の襲来、困ったことが続く年です。

周囲に秋の気配を探すと、近所の銀行のインフォメーションを変更中。
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夏用のディスプレイから秋仕様に変更の様子、駐車場からのぞき見れば、今年の秋テーマは「ハロウィン」のようです。、

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生垣に置かれた「飾り」は紅葉か、まだ青味が残る山の木々もハロウィンの頃には燃えるような赤になっています。

しばらく出張
これから出張です、そう遠くに行く訳ではなく東京に3日間ですが。
ビックサイトの展示会で3日間張りつき、原発事故の後遺症をさらに感じる業務になります。

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報道によると、東京ビックサイトの近隣に東京電力の事故対応コールセンターがあって、そこで一括して電話を受け付けていたとのこと。今でもあるかどうかわかりませんが、そこに配属された社員は激務で精神疾患に陥ったと言うことも何かで見ました。突然の被害にコールセンターに連絡さざるを得ない「被害者」のほうが一層事態が深刻なのは言うまでもありませんが。
電話をすると「東京電力でございます」と長閑な録音再生が流れて、「怒りを増幅させる」と言っていた被害者がいました。

福島市内も一頃の、排水溝や公園の雑草には手を触れるな・・・と言うような通達もなくなり、元のように住民による環境美化を行っています。5月9月は一斉清掃デーがあって町内会で公園や街路樹の手入れをしています。

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一斉清掃と言っても、町内会やエリアごとに少々ずれるらしく、そう言えば排出ゴミや汚泥が市内一律に同じ日に出てしまうと回収運搬の清掃局業務がパンクしてしまいます。

と、言う訳で、当町内会の清掃日は今度の日曜、出張戻りを見計らったような設定ですが、草むしりをする公園には何故か白百合が。春の清掃の時は何も気づきませんでしたが。

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いつの間にか、人知れずひそかに咲いた白百合の側には相変わらずの無粋な白看板。
「東京電力でございます」長閑な録音音声に「腹が立つ」と言うのもよく分かります。




老々介護
2学期が始まって、慣れたころに「敬老の日」がやって来て、9月15日の祝日は「これから秋」の目印でした。
連休を作る法制化で、敬老の日も9月の2週目あたりで日にちが変わるようになったのですが、その「敬老の日」を前に週末は各地で敬老の催しです。何やらパトカーや交通巡視員が出て、公共施設の前が物々しいと思えば敬老行事で「高齢者が来る」その対応です、一瞬何のことかと思いましたが。

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介護される方も高齢者なら、介護する方もほぼ高齢者。人口構造の年齢分布を見ても致し方ないところ、新聞の死亡欄を見ても「高齢」と言われる前の物故者がそこそこ目立ちます。
長寿が「めでたい」とばかり言っていられない世の中になりました。

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コンビニの前では犬の繋ぎ場があって、買い物中の主人を愛犬がおとなしく待っていました。人と人、人と犬、いろいろなコミュケーションの形があって社会の形成が変わって行くようです。
さらに秋晴れ
秋雨前線が南下して、移動性高気圧で連続の青空、「連日の青空」が印象に残るほど、この夏の天候が悪かったということか。

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仕事柄、連日の雨で農家が大変だったと言うのは当たり前のことながら、「この業務も大変だっとろう」と思って見たのが郵便配達。雨の中では「雨具」もさるととながら、郵便物を濡らさない等に郵便受けに入れたり手渡しするのに余計な気を使いそうで、そもそも豪雨の時は、移動すらままならないと察せられます。

9月の半ば近く、半袖で配達が出来るのは今さらながら「せめても」の幸運か。

雨で例年より雑草の繁茂が多い公園にも手が入りました。

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公園も一見すると識別できませんが、市で管理したり団体管理であったり、または町内会で管理したり、除染の順番や手続きの仕方で「違い」がなんとなく識別できましたが、ここの公園は市の委託者風の管理のようです。よく分かりませんが。
秋晴れ
秋雨を嘆けば今度は秋晴れ、朝方の雨から午後にかけてすっきり晴れあがりました。

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「雲一つない」とは言えませんが、雲の形にも季節の色が。また秋のいわし雲には成りきらず夏の積乱雲の形をとどめています。この夏はこの積乱雲の雨で、それだけ地上が混乱したか。

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その地上では、道沿いのススキが風に揺れています。夕方の打合せに向かう道端、先日通った時にはこれほど秋の風情ではありませんでした。夕方の日の入りもずいぶん早くなりました、あと2週間で「秋分」です。

秋雨前線
重陽の節句(9月9日)まえに、秋雨前線もないものだと思うのですが、残暑の日差しもそこそこにまた雨がちに。

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下校の小学生も鬱陶しげに道を急ぎます。春や初夏の雨と違うのは日に日に緑の濃さを増す木々に逆に紅葉の兆しが見えること。小学生の感覚ならば、わずか2・3か月前の雨なのですが、「遥か昔」のように感じられるに違いありません。

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中古車の展示場も雨の中。人気のない構内に赤い旗が立って、こちらは待ちの商売。商売には晴れの日も雨の日もつきものです。

水田もそろそろ土を固めなければならない時期に掛かります。それにしてもここに来ての雨が気になります。
秋の気配
台風が太平洋を北上してくると身構えていたら、風もなく穏やかな初秋の空。台風が去った後に雨。日照不足の後も何かと振り回されます。しかし、一昨年の今頃の台風で、実家の敷地は裏の土手から落ちてくる滝のような水量で、後に残されたた残土を捨てるのに大わらわ。それを考えると「空振り」の災害対応の方が随分とマシ、今年はラッキーだったと考えましょう。

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夏が戻ったような日差しは、台風によるフェーン現象か。何はともあれ日差しはありがたい、と実感する今年。

しかし秋は着実に近づいています。ドウダンツツジも少しだけ赤味がかってきました。
楓もまだ青々としていますが、枝の根元に紅葉が。

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この分だと高原は相当秋の気配でしょう、盆地の底に貼り付くような雑用が多くて、なかなか高原の風に吹かれるようなわけには行きませんが。

梨と散歩
農・住隣接と言うか、「田園地帯」と言うのはほめ過ぎか。交通が不便な山間部でもなく、緑など街路樹にしかない都市部ではなく、たわわに実った果実とそこそこの利便性が共存している生活も「いいものだ」と思う時があります。

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住宅地や学校の近く、散歩コースに梨園。犬を連れての散歩の途中にたわわに実る梨を見るのは、自分の梨ではなくとも無機質なコンクリートの壁の前を歩くよりは何となく豊か秋分になる・・・はず。

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以前は、果樹園の近隣は、春の防霜対策で朝方古タイヤや重油を燃やすことをしていたため、一面ススだらけになったりしました。また、SS(スピードスプレヤー)による農薬散布で、噴水のように噴き上げた農薬が通行中の車に掛かったりしてましたが、最近はそのようなこともなく、居住環境とも共存が図られています。

コスモス揺れる
空梅雨、日照不足、台風と様々な気象要因に振り回されながらも9月になり、道沿いではコスモスが揺れていました。

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残暑ながらも空気が澄んできたなと、初秋の陽気に「核実験」のニュース。昼過ぎの揺れを観測し「核実験の可能性」から、時間の経過とともに「核実験が行われたたとほぼ断定」。例の国内放送の仰々しい放送もあった夕方にかけた時間帯。
コスモスの揺れに秋を感じる静かな午後どころではなくなりました。そして、予定の宮様の「ご婚約内定の儀」、慶事に水を差されたと宮内庁は怒りを露わとのことですが、別に「間が悪い」ということは残念でも、怒りは慶事と関係なく持つべきもののような気がしますが。
幸い当たらず
今夏は7月の予想では、「猛暑の年」でしたが、7月末の太平洋上の迷走台風の余波ですっきり梅雨が明けず、空梅雨一変の日照不足。

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8月から9月に掛けては、小笠原諸島で猛威を振るった台風が太平洋上を北上して東日本や北日本に影響を及ぼすと思われていたのが幸い風もなく晴天。全く分からないものです。
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盛夏の日差しとは違うものの予想では30℃、ももは終わりましたが梨の中生・晩生、リンゴのふじと続くので来ないよりは来た方が良い残暑か。予想では3~4日続く晴天ですがどれだけ当にして良いのか。

生活感
復興住宅も入居が始まり、駐車場や洗濯物など生活感が出てきました。近所の郵便局で避難者の知り合いに「ばったり会う」ようなこともありました。「今日は何か」「例の仮設を出てここに入りました」と思わぬ再会に驚いたり。

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この復興住宅も、賃貸なのか分譲なのか入居条件は如何なのか、避難者以外にはよく分かりません。もちろん秘密事項ではないので調べれば分かるかと思いますが、当事者以外は特に関係がありませんおで。

被災地戻れますと言う施策とこちらい住んでくださいと言う施策。学校や職場・事業の関係で揺れ動く避難者。某ゼネコンが除染費用の不正請求のニュース、大手ゼネコンにとってどうでもいいような金額ですが「何かがある」のでしょう。
まだまだ難しい事態が続いています。
さて9月
例年だと、「月は変わってもなお暑い」と書くところですが、今年は9月を前に秋の気配・・・というよりも、そもそも盛夏のない年でした。強いて言えば、盛夏と梅雨が入れ替わったような気象。

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街を歩けば、季節や気候条件に関係なく「おなじみの風景」。大したことのない事件・事故でなければよいのですが。

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朝顔も、もう役目を終えたとばかりに花を閉じています。代わりに、名前は知りませんが黄色い花が鮮やかに咲き出しました。これからは「菊」のような花が咲く時期です。

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サムライブルーも躍動しました。悲観的な報道を多かったので、胸を撫で下ろした向きも向きも多かったと思います。2006年のワールドカップの日本の初戦は東京へ出張中、ジーコジャパンの何とももどかしい豪州戦を神田のビジネスホテルで見ていました。1点先制も、不思議なジャッジもあって3発浴びての逆転負け。せっかく東京にいるのだから、どこかのパブリック・ビューイングにでも行ってみようかとふと思ったのですが。同行者が「サッカーはあまり」と言うもので思いとどまっていました、このような結果なら行かなくてよかったと、逆に「胸を撫で下ろした」ことを思い出します。あれも秋でした。