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幕田武広

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まだ桜
リンゴの花が咲き乱れる福島盆地から桜の米沢盆地へ。峠ひとつでこれほど違う、日本の季節と気候は不思議です。ここに農業の難しさもあるのですが。

その農業の研究のために通う山形大学、しかし米沢は農学部ではなく工学部。農業も田畑の研究だけでは成り立たなくなりました。
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旧本館も桜の中、イメージ的に「欅並木」の印象があるのですが、この時期は桜。レトロな雰囲気とマッチします。

冬に来ると残雪置き場になり、雪の壁に圧倒されるような駐車場も桜が満開。雪国の遅い春でした。

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雪に封じ込められているような場所柄ですが、有機ELなど先端研究がされていて経済紙、専門誌によく登場する研究機関です。この大学とか、仙台の東北大学とか、訪問を続けて情報集積に努めています。

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見納め
前復興相の、言葉とは裏腹の「とれも反省などしていない」風体(と書くと僻目ともとられかねませんが)も、辞任と言う名目の解任で「見納め」かと思っていたら、親分の方も色々口にして子分ともどもマスコミい話題に。

すっかり葉桜の福島盆地、周辺の山間部も散り終わり、逆にリンゴの白い花も目立つようになりました。晩春から初夏へと思いつつ所用で米沢へ。建設中の高速道路を横目に坂を上り峠の辺りには残雪が残り、米沢盆地に下りるとこちらは桜が満開。これから、青森にも北海道にも行く予定がないので、今年御桜はここで見納め。
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最上川の堤防の桜並木、近隣の松川の堤防の桜は信夫山を背景に並んで咲きますが、こちらは遠景に西吾妻。確かここの河原で連休中に「川中島の合戦」が模して行わるのだったと思います。越後から会津若松を経て米沢に移った上杉家、とはいえ甲斐と信州で戦った「川中島の合戦」がみちのく米沢で行事化されているとは。
この地には、上杉鷹山に代表される「産業振興」が息づいているのかもしれません。そこに行くと、たった山ひとつ越えた福島の商売下手、と言うと山形の人たちは、口をそろえて「そんなことはないでしょう」と言うのですが。お互いとなりの芝生は青いのかも知れませんが。
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米沢で聞いて、全く福島で聞かない言葉もあります。商店に貼ってあったポスター、地元の商工会議所が揃えたもの御様ですが「おしょうしな」と印刷してあります、「ありがとう」の意味。しかし「おしょうしな」と言ってみても米沢の人のイントネーションまでは真似できません。語源は何でどこからきた言葉か一度専門家に聞いてみたいと思います。
火消し
昨日の夕方は久し振りの雨。この前の雨はたしが桜の散り始めに風とともに降った雨、花散らしの雨でした。それから10日余り、今度の雨は少量静かに降った雨で、白と赤に咲いた「ハナミズキ」を濡らしています。

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雨が降らずに強い風が吹いて、頻繁にサイレンを鳴らした消防車の出動に会いました。GW目前、行楽の予定の皆さんには恐縮ですが、水田の水張りもこれから始まります、少し雨も続いてほしいものです。

さて、火消しと言えば降って湧いたような失言の「火消し」「幕引き」が終わったのか。核開発と弾道ミサイル、米国空母が半島に近づく中、この次元の「話題」につきあってて良いのか疑問です。
野党も辞任では足らずに任命責任も国会で追及としていますが。旧民主党で言えば震災直度の初代復興大臣も「横柄な態度で」被災地の反発を買って直ぐ辞任、現民新党の幹事長も総理当時、原発事故の当年秋には事故収束宣言。当時の言動を顧みると
政権は変わってもと言うのが被災地の率直な意見です。

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とは言え、今度の復興大臣は地元選出で地元紙の論調等でも期待が大きいようです。私も個人的に存じ上げていますが、県議上がりの朴訥な人。政府方針と地元以降の板挟みも予想されますが、朴訥な分変な挑発インタビューには嵌まらないこと。材木屋の社長で県議からのたたき上げなので、重婚騒動の2代目のようなことはないとは思いますが。

まだ東北だからよかった
東日本大震災が、[首都圏とかでなく東北だからよかった]と言う発言で、今度は一発で復興大臣の首が飛びます。
ご本人は佐賀が選挙区だそうですが、薩長土肥はまだ「白河以北一山百文」の意識なのかと言いたくはなりますが、この前の「自己責任」の遣り取りを聞いていても、政治家には不向きなエキセントリックな性格のようで「個人の資質」ということかも知れません。

東北各地から「怒りの声」の報道ですが、やはり福島の捉え方はもう少し複雑です。絶対安全・事故はありえないと称して建設・稼働していた原発を福島・新潟と言う供給エリア外に作っていたこと。事故が起こった時に被害が抑制される「片田舎」の方が立地に適している、と言う判断以外合理的な理由が見つかりません。と考えると、やはり東電は2重3重の嘘・偽りで原子力事業を行っていたことになります。

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さて、今頃の時期になると新一年生も少しは学校に慣れたようす。

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晴れた日には保育所か何かでも公園で子供を遊ばせています。

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このような場面に出くわすと、つい写真を撮りたくなるのには理由があります。6年前の震災による原発事故直後、住民特に子供や妊婦に対する放射能の影響が懸念され、公園での外遊び等は出来る状況ではありませんでした。しきい値の議論もそれ以前の、データ判断の次元でまとまりが着かず、メディアも被害を大きく言う専門家の方のインパクトを求めているようにも見え(全部とは言いませんが)、情報に振り回される住民の混乱ぶりを好んで報道しているようにも見えました。

ですから、まだ多くの事故の後遺症はありますが、取り敢えず「子供が春の陽を浴びて元気に外で過ごしている」光景を見ると、なんとかここまで回復と安堵しています。

ところが、最近は子供特に「女児」の写真など撮っていようものなら、「変質者」扱いになる困った現象も起きていますが。

で、原発事故直後の話に戻りますが、行政からの御達しは全て行動は「自己責任」、子供を外に出すのもプールに入れるのも、一応安全の基準になるデータは示すものの、判断と責任は「自己責任」。
放射能の影響など、専門家でも見解が分かれ、絶対事故はないと言っていた原子力行政もあにならなくなっていた状況で、しかもメディアは多様な情報を伝える中、放射能にはほとんど知識のない一般市民に「自己責任」での判断を押し付ける当時でした。

ですから「自己責任」といわれると、なんとも責任逃れの行政担当者の姿勢が思い起こされます。今回の大臣辞任(実状は罷免とも言われますが)、「自己責任」の前回発言の段階で自己で責任を取ってもらう必要があったように思います。
梨と桃
桃畑が一面桃色に染まると、次は梨棚。福島盆利でも梨と桃では栽培エリアが違うとは言うものの、厳密に分かれているわけでは、もちろんありません。

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いつも通るT字路の角は、桃と梨が隣接。栽培状況からすると「経営は別」そうですが、桃と梨が並んで咲いています。

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梨屋さんは受粉作業の最中のよう、機械化が進んだといっても人海戦術もまだまだ必要です。ロボット化と言ってなんでも機械化しようとする向きもありますが、農機具メーターの思うつぼ、そこまでコストとを掛ければ「経営」が成り立たなくなります。ロボット化も作業効率向上まで、そこまでは必要ですが。
名残の満開
葉桜に代わった平坦部、桜に代わって桃や梨の花ですが山間部はまだ桜。
実家近くの神社の桜も満開から散り始め、先週がここの地区のお花見会でその時は3分咲だったそうです。

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赤いノボリが風にはためくものの社が見えない「愛宕神社」は先週書きましたが、偶然ここも愛宕神社。ここは石の鳥居があって、そこから急な坂を上ったところが「社」。この桜は参道わきの桜、この下を川が流れています。

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見事な桜と言いたいところですが、高齢化が進む過疎地帯。なんとか社周辺は、氏子で管理していますが参道脇までは手が回らない様子、土手は荒れ放題で蔓が桜の木に巻き付いて、咲き誇る桜と蔓の何とも不思議な「緑とピンク」。
さらに、土手には黄色のヤマブキも咲き出しています。こうして山間部は時代の波にのまれてに消えてゆくのか、しかし、人の手から少し離れたような景色が「ワビとサビ」に映って、これはこれで末永く日本人に好まれるのか。
ピンクと緑と見色の風景に、それはそれで見とれてしまった日曜日の午後でした。
葉桜と欅
少し前には、満開だったテレビ局の桜も葉桜に。ここはTUFでTBSの系列局、やはり桜の名所「信夫山」の麓にCXの系列局があって、後の2波は郡山市。因みにテレビ東京を常時配信する局はありません、「鑑定団」などのテレ東の人気番組は再放送扱いで系列局番組の谷間に。

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テレ東の経済番組で、福島では放送されていないので、気を許して話をしたりすると「BSで見てました」などと言われてします。油断のできない昨今です。

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この冬に切り込まれた街路樹の欅、しかし元気に葉を出しました。先程のテレビ局も同様ですが、通称「西道路」正式には国道13号線バイパスにあるます。しかし、13号線は奥州道から福島で分岐する出羽道のイメージがあるため、福島市を迂回するバイパスには13号線である実感がありません。何とも、他地域の方にはわかり難い感覚かもしれませんが。

野の仏
BSのプロ野球中継で阪神メッセンジャーの低めのボール球を、巨人の打者が手を出しては三振を繰り返すのも見飽きたので、チャネルを変えたら「美空ひばり」がどうたらと言う話。
美空ひばりと言っても、リアルタイムで知っているのは、いわき市の塩屋崎灯台を唄った「みだれ髪」くらいのもの。ただ「リンゴ追分」と言う曲の語りの部分は印象に残っています。
戦後「リンゴ」が大衆果実として定着したきっかけがこの歌から、との話も果樹関係者から聞いたことがあるような気がしますが、その以前に「リンゴの唄」と言うのもあったのですが、大戦以前はリンゴはマイナーな果物、或いは高級果実であったのか。

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美空ひばりの「リンゴ追分」は弘前が舞台であったらしく、唄われる山も「お岩木山」ですが、さしずめ福島盆地なら吾妻山か。もっとも福島盆地のリンゴの花は咲き始めで、花びらが風に舞うのは1~2週間後か。それでも5月に花が咲く青森よりはずいぶん早いのですが。

その青森まで続く東北の大動脈「東北自動車道路」越しに見る吾妻山。吾妻小富士にはくっきりと「雪うさぎ」が浮かんでいます。

と、福島番地の果樹地帯から西の方を見ていて、近景に目を移すと石の仏様か神様か。

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崩れかけた石仏が幾つか、人型のお地蔵さんのように見えるのが炎を背負って、手に刀をもっているので不動明王か、たしか明王と言うのは密教で言う大日如来の化身(美空ひばり以上にうろ覚えですが)、と言えば来一群は仏教系の信仰物か。ことろがが隣の石碑は「金毘羅塔」と読めます。金毘羅さまは神様で、昔行った金毘羅様には赤い鳥居が立っていたはずと「神も仏も有り難がって祀ったのか」と大した気にも止めずにいたところ、夕方スーパーでばったり知り合いの坊主に。この坊主とは男の子のことではなく僧侶と言う意味で、「相変らず「屏風」に上手」に「絵を書いている」か」といつもの挨拶。若く真面目な僧侶で「日々お勤めに励んでいます」と返してきました。
確かこの坊さんの寺は密教系だったと思って、さっきみた「不道明王」「金毘羅塔」の話を聞いたら、「そもそも金毘羅様は神仏混習のころは仏様を本尊にしていて」イスラム教など一神教の信者が聞いたら腰を抜かすような話でした。そもそもさっきの石仏の配置は由緒あるもので、ご都合主義でないことは分かりましたが、これら仏教を伝えてくれた半島の国は付け根の方で「火遊び」が絶えないようで、また核実験の兆しのようです、バレーボールの件はなんだったのか。
原子力は発電所事故でごりごりの春の信夫路です。

桃色から白
桃畑の文字通りの色い次いで、リンゴの花も咲き始めました。あと1週間でリンゴ畑が白い花で埋まります。リンゴは葉が出てから花なので、白1色ではなく「緑と白のコントラスト」になって行きます。
この時期になると、水田に水が入りだします。田植えに入る前の「代かき」の作業が始まります。

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路地ののドウダンツツジも白い花をつけ始まました。一帯の生垣がまっ白になって行きます、この生垣見どころが年2回あって、白い花と真っ赤な紅葉。

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子供の頃はあまりい無かったドウダンツツジが、あちこちで増えたのは「2度おいしい」せいかもしれません。
あちこちで増えたと言えば発電パネル、場所によっては風景が変わるほどです。クリーンエネルギーは宜しいのですが、この件はまた改めたいと思います。
追い打ち
花散らしの雨に追い打ちをかけるような強風、記録的な暑さの反面「春風」とは言えない強風。北朝鮮に強面のトランプ大統領ですが、やはり[温暖化」「二酸化炭素排出」の問題も経済発展と同時並行で取り組んでほしいものです。
無論風が吹くのも「トランプのせい」とも言えませんが。「無論」と打とうとして「フロン」と変換されました、これは老化のせいか。

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桜並木の堤防と市営アパートの間の道路、たまに通る道ですが強風に赤い「のぼり」がはためいています。「奉納愛宕神社後祭禮」中古車展示ののぼりではなく祭礼ののぼり、祭禮を祭礼と読めたのは、以前の大相撲の「満員御礼」は「満員御禮」と書かれていたからで、この様な場合は旧漢字のほうがなんとなく有難味が増します。
以前から春・秋に祭礼の「のぼり」は見るのですが肝心の神社が見当たりません。何故かこのアパート群の外装のコンクリートの色は桜色、桜並木にあやかったのか、近所の中学生はピンクの住宅で「ピンジュウ」と呼んでいました。
このピンジュウのおそらく間か陰になってしまったのでしょう愛宕神社、迷路のようになった参道の(おろらく)入口に、祭礼が近くなると「のぼり」が立つようです。

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散り行く桜並木の方の堤防の上は、花びらの上を犬が散歩。河原の柳が大きく揺れています。

そしてピンジュウと桜並木の堤防を挟んだ道路から北側の並行して走るる道路、こちらは復興住宅が立ち並びました。こちらは周囲を桃畑のピンクに囲まれましたが住宅はシックな茶・ベージュ系。これから何と呼ばれるのでしょうか。
散り際
一夜の雨風で、ソメイヨシノは散って行きます。低気圧が通り過ぎた後の青空に桜の花びらが舞っています。

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咲く花も春なら、散る花も春。桜はソメイヨシノだけでなく、福島と言えば「三春の滝桜」樹齢1000年と言われますが、ソメイヨシノよりやや遅く満開を迎えます、花の色はもう少し桃色が濃くなります。
県内各地に、滝桜の子木、孫木といわれるものがあり、真偽のほどは定かでありませんが、先ずは挿木など栄養生殖で増やせる可能性もあるので、あっても不思議ではありません。

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その滝桜との関係は分かりませんが、散るソメイヨシノの傍らで満開の枝垂れ桜あり。わずか数日で主役が入れ替わります。この散り際も古来日本人に好まれてきたところですが、国政の一強の方は相変らずで対抗勢力のはずの「おんな城主」様の方がご家老クラスの離反が多くて苦戦のようです。
春爛漫
まさに春爛漫。春の嵐、花散らしの雨が降る前の写真です。

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今年な福島盆地は、桜の見頃が土日に重なりました。ちょっと山間部に行けば「これから見頃」の桜も多くあります。復興大臣に続いて「学芸員がガンなどと別の大臣の失言もありましたが、枝葉末枝国民的な関心事は北の軍事パレードと米軍の圧力、そして中国の動向。

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桃の花も咲き揃いました、葉が花より早くでるリンゴも緑の新葉、白い花を待つばかりです。順調に実を結ぶ夏・秋を待つところですが、NHKでも原発事故の「廃炉」の番組。事故から7年経過と言ってもこの先何年この問題に付き合うのか。事故現場のコップの中の嵐ではなく、この地方の農産物全般に影響を及ぼしています。

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河原の柳など「緑」を芽を吹き出しました。春本番です、丹精込めても収穫時期には気が滅入る、この時期の生産農家の話でもあります。。
無粋と言えば無粋
福島の「さくら祭り」は先週か今週。今週に企画した方が「当たり」だったようで、まさに満開の桜の下。

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福島と言えば「花見山」、この時期は福島市内の交通事情が変わるほどの混雑ぶり。原発事故があったり、遠くに駐車場を設けシャトルバスを走らせるようになって、多少緩和したような気がします。

盆地の中心に小島のように浮かぶ信夫山。ここも桜の名所で、この時期の週末と言えばシートをもってお花見、下っ端の役割は「場所取り要因」という長閑な時代もありました。今そんなことをしたら、パワハラで問題になります。

花見山・信夫山の2台スポットとは別に各所に隠れスポットや穴場があって、それなりに地元の方々が「さくら祭り」に一役買って盛り上げています。
ここは「嶽駒神社」というところ、近所の市営のアパートも馬のマークがついているので「駒」にゆかりのある場所なのでしょう。昔は商店街もあったようですが、新しく出来た道路や住宅地に押されて商工業者と言えば「理髪店」「クリーニング」「町工場」が点在するばかり。しかし、神社の氏子さんと一緒になって祭りの盛り上げに躍起です。
会社からは歩くとかなり遠い距離ですが、車を使えば「ちょっと桜でも」と見に行ける距離です。行き帰りの車中から眺めるには手ごろな良い場所。

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しかし、満開の桜の下にも「汚染廃棄物」の仮仮置き場、アルミのシートにホコリが俟って、土ホコリが固まり雑草が生えるなんとも非日常が日常になってしまっている現状。
来年の桜の頃には、仮仮置き場から仮置き場への移動が終了するとのこと。うれしい知らせなのか「今さら」の話なのか。「遅々として」と言いながら、多少は進んでいることには変わりないと言うものの。

桜を追うように
満開の桜をう追うように、桃も咲き出しました。満開の桜が週末に掛かり、絶好の「花見」と言いたいところですが、桃の花も咲き始めました。
観賞する桜と違って桃は栽培用、「晴天」人間にとって都合の良い風のない晴れた空は明け方の遅霜の要因、それが桃の花や芽に当ると凍害を起します。

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見事に咲き始めた桃の花・・・と言いたいところですが、それでは桃の花が混み過ぎ、桃の花を見る方が「物足りない」と思うほど疎らに蕾を落とさないと大玉のも桃なりません。ですからこの桃畑は相当頑張った「摘花」は必要になります。

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繁茂するのは「雑草」も同じ。生物学者でもあられた昭和天皇は「雑草と言う草はない」といわれたそうですが、樹園地の草も伸び始めて、「刈れる」状態に。また管理に追われる日々が続きます。
三日見ぬ間の・・・
[3日見ぬ間の桜かな]。お伝えの通り、東海地方に出張し東京に寄って昨夜戻りました。出発前に2,3分咲きだったソメイヨシノも戻ってみれば8分咲か、見頃です。

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ライトアップの桜が待っていてくれました。新幹線・在来線を乗り継いで昼過ぎについた三重県四日市は満開に花散らしの雨、高校の入学式か午後早々に帰る高校生に、花びらと雨が降りしきります。翌日の知多半島も散り始め、さらに東京は大分散っていました。
やはり東京で土曜にの蕾が日曜日に綻んでいたのを見てから3週間近く、その間満開に咲いた桜の散り際でした。

会社近くの桜の名所、土曜日が子供の桜神輿で日曜が桜祭りとのこと、神社の境内とその参道の一角、都市部のイベントと違って「混雑」と言っても知れたものですが、今日は未だゆっくりと見上げることができます。春彼岸からも日にちが過ぎ日没もずいぶん遅くなりました、夕暮れの桜でも見に行こうと思います。
桜前線
ようやく桜前線が福島に到達しました。「ようやく」と言ってもほぼ平年並み、難を言えば今年の桜「見頃」は週末まで持たないかもしれません。
いつも書くように、山あり谷ありの福島、桜自体は品種を選ばなければ、県内どこかには月末まで咲いています。
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これは庭のソメイヨシノ、成人式だった長女が高校入学時に植えたもの。庭を造園したときに植木屋が植えていたハナミズキに陰になり、少々伸長は苦戦気味。

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長男が小学校入学時に植えたこれも桜の一種。今年大学入学なので6+3+3の12年経ちました。ちょうど折り返しが大震災の時、さすがに10年以上の木はお隣の庭も見下ろす樹勢ですが、今年の冬にかなり枝を切り落としたので、花そのものは疎らです。

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街道沿いの桜も開花、陽だまりか気流のせいか、隣近所でも微妙に開花がずれるのが面白いところ。
桃の摘蕾
摘蕾(てきらい)と読みます。着き過ぎた「つぼみ」を落とす作業。着き過ぎたといっても、もともと生理的に必要な蕾の40倍も着く桃の蕾。養分を集中させ、玉を大きく育てるために必要な作業。因みに花が咲いてから落とす作業を「摘花」といいます。

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今時、クレーン車でゴンドラのリモコンで位置をコントロールしながらの作業ですが、落とすのは昔ながらの手作業、落とす量が多いので予備的に水圧である程度落としてから、手作業に入る場合もあります。

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傍ら農家の主人の方は、アルミの脚立で作業中、何か家庭内の力関係を見るようで身につまされます。高額なリフト車を2台も3台も買えないということでしょう、そのほかにもSS(スピード・スプレヤー)など高額な機材も必要です。

春の農作業
新年度がスタートして1週間。今年は区切るよくく土日を挟んで、月曜日から年度スタート。月・火曜びは組織トップの会見なり談話の紹介に続いて、週半ば後半は部門トップの「あいさつ」「談話」「インタビュー」が紹介されます。
福島県庁の風評・風化対策の担当部局長のコメント引用記事によると「原発事故による風評・風化対策は特効薬がなく、地道に科学的根拠に基づく・・・」と相変わらずの内容、「特効薬がない」と言うのはその通りですが、彼の東京都知事が「基準値を超えて水質汚染があってもその水を業務に使用することはなく、築地は化学的に見て安全」と言う移転推進派に対して、都民・無党派層の「風」を掴むのが巧みな都知事が「安全」と「安心」とは別、と応じないのと比較すれば、「周回遅れ」の感は免れません。
先ずは、風を読みながら「国会議員」「大臣」「都知事」とのぼりつめてきた、近代政治史も稀な「女帝」と田舎の「公務員」を比肩することはそもそも無理なのかもしれませんが。

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言っても「詮無いこと」とは言え、国内的に苦境に立つ1次産業で更なる逆風が止まない県内農業。雪が融けて地面が乾いて、トラクターで耕耘を始める農家。

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定植して半月あまり、トマトの育ちを管理する農家。何十年此の方、決まって行ってきた作業が困難さを増して7年目です。
名残りの梅
いわき市小名浜で桜の開花、桜前線も東北地方に入りました。福島の桜はいわきから咲き始め、原発事故で変に有名になってしまった「浜通り」を北上して相馬まで行き、「中通り」は逆に南下し福島・郡山そして栃木県境の白河と咲いて行きます。その後会津に移るのですが、浜通り・中通りを分ける阿武隈山地も桜は遅く、相馬と福島を結ぶ国道の頂上付近は「この辺りの桜は弘前の桜と咲く時期は同じ」と言うので、平均気温や緯度だけではない桜の咲く要素があるのだと思われます。

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こちらは福島県の中通りでも、阿武隈山系とは反対の奥羽山脈の方の高台、奥羽山脈は中通りと会津を分けています。つい10日前に降ったみぞれ、高台は積雪状態で一面白くなりました。さすがに道路は「圧雪」ということはなく、ザクザクとした半雪半水状態で既に履き替えた夏タイヤでも走行に支障はありませんでしたが、白く咲いた梅が白い雪景色に立つ風景は「幻想的」で印象に残っています。
すっかり春の陽気に戻って、あの「白」と「白」の幻想が嘘のような梅の木が、花びらを散らしながら「桜」の到達を待っているようです。

「畜産」業も、規模が大きくなりだんだんと山間部に追いやられるように、一足遅れの「春」が来るような場所に立地しています。仕事で訪れる養鶏場、いつも通る道が工事中で、1本隣の道路を通ったら山頂の方に抜けてしまいました。

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山頂部には何本かの鉄塔、これはテレビ局の送信用。なぜか電力会社の鉄塔もあります。青空背景の鉄塔を見ながら一息ついて降りて行きます。かかる状態でも機能するカーナビは便利です。


菜園
プロの農家とは別に、菜園を維持運営して、自給の野菜や花を栽培する人たちがいます。

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先日のスーパーの駐車場の、住宅の軒の間から見た吾妻不富士よりも、福島市の西の郊外に出れば吾妻の山々もグンと近くに見えます。
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麓の菜園では、夏野菜の作付。農機具も便利になりました。冬の間使わなくとも、春になって約半年ぶりにエンジンをかけても1発スタート。以前の農機具だとガソリンのコックを開いてプラグを掃除しての、大仕事だったと60代の菜園愛好者の話。元々農家でしたが、30前に会社務めになり、定年・嘱託を終えて60半ばから菜園に目覚めたそうです。
地方都市にはよくありがちな経歴ですが、40年の間に農業機械もコンパクトになり進化しました。

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種芋を買い込んでジャガイモの栽培だそうです「40年のブランクを取り戻します」。会社員時代より元気になったとは奥さんの言葉でした。
野球の季節
選抜高校野球が終わり、プロ野球も開幕して2節目。福島でのオリンピックの野球・ソフトボール開催も決まりました。子供のころ「ソフト」と言えばソフトボールでしたが、やがてソフトクリームになりコンピューター・ソフトウェアーのことになりました。コンピューターソフトも、コンピューターそのものの使い方が、スタンドアローンからWeb主体になって来て、細分化された用語に置き換えられて、ハード・ソフトと2分化されて表現されていた頃も、遥か昔になってしまいました。

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桜はもう少しだけ先ですが、堤防の上から河川敷を見下ろすと、ソフトボールに興じる子供たち。最近、コンピューターの人工知能と対戦を競うようになった囲碁・将棋も天才的な若手が出てくるようになりました。彼らもコンピューター世代、囲碁や将棋の関りあいも、碁会所・将棋詰所の天才少年が棋士に入門して徒弟制度で腕を磨くと言うよりも、最初から碁や将棋のゲームソフトで基礎を覚えた年代。

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今年の春の甲子園も、話題のスラッガーやその候補が目白押し。早実の清宮が3年生になっても、2年生世代に逸材が揃う年代とか。中学はおろか小学生の「リトルリーグ」から、全国をまたにかけて腕を磨いた「天才少年」なのでしょう。本人はともかく親の期待も生半端ではないのでしょうが。

そんな中、のんびりと(かどうかわかりませんが)春休みの昼下がり、河川敷の広場で草ソフトに興じる小学生も、また子供らしくいいもの、天才少年にはない(失礼)伸びやかさが感じられます。
もも膨らむ
お伝えしているように、当地方はまだ梅花、桜も未だの状態ですが、通りがかった桃畑の桃の芽がずいぶん膨らんでいました。

この樹のこの辺りに「枝をつけ過ぎ」、果樹は大玉で日当たりの果実を確保するために、冬場の伸長し過ぎた枝を切落し、樹形を整え、さらに「摘蕾」「「摘花」と、蕾段階、花段階で「果実」になる部分を落として行きます。それを付けすぎると「小玉」の栄養不足の果実が「たくさん」採れてしまいます。ただし、落とし過ぎてしまうと、肝心の果実が少なくなってしまうところが難しい。

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「この枝余計だったね」などと、次の作業を待つ果樹園で、選定(枝の切リ落とし方)後の評価。後講釈は誰にでもできます。剪定の実作業をしている頃は、吹き下ろす風や小雪の舞う中の仕事でしたが、今となっては薄いウィンドブレーカーで十分。

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「木を見て森を見づ」の逆か、樹形に気を取られていると芽の膨らみを見落としていました。例年より寒めだった3月の気候に反して、例年よりも若干進んでいる果樹の状態。桃は7月~8月の収穫、それまでの管理がまた大変です。
こちらは、まだ梅
東京の桜をテレビでみています、先週末に大泉学園の桜が咲き始めだったので、上野と言わず、千鳥ヶ淵と言わず日曜日は見頃でしたでしょう。
東北の桜はこれから、天神宮は文字通り「梅」がまだ梅の花が境内を彩っています。もっとも、天神様ですから桜よりも梅がふさわしいのですが。

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今週は年度初めの各種調整、来週は上京そして東海地方まで足を延ばしたいと思います。桜の名残を追うような行程です。入れ違いに、当地方が桜の時期になります。

天神宮は学問の神様ですから、卒業式は梅でも入学式は桜が似合うので、「桜の木もあったよな」と本殿前を見回すと、桜の花よりもっと赤い消防車。
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何とも、奇妙な取り合わせになりましたが春の防火運動で、検査でも入ったのか。「それにしても日曜だし」と、赤い侵入者を訝しんでいました。

散々3月
長期の出張の疲れか、風邪と花粉症が一気に発症。マスクやらトローチやらの助けを借りて、ようやく凌いだ3月でした。国に出す所定の書類は年度末に間に合わせたものの、いろいろお世話になった担当者が転勤や退任、惜別の間もなく今日からは4月です。

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食事の間合いが取れず、移動の途中で寄ったスーパー。駐車場から見る吾妻小富士、たまたま住宅の合間から、さえぎる物なく、まだ雪に埋まる吾妻小富士が一望できました。
小中学校も離任式のようで、新学期ともつかない中学生がたむろしています。彼らなりの惜別もあったのでしょう。

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あと何日が後の新学期には、数えきれないほどの出会いが待っているのですが。

福島も避難解除が相次ぎます、解除をしても目に見えて変わるものは何もなく、机上の遣り取りに翻弄されつつ新しい生活が始まります。