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再び西の空
梨園の枝越に見る吾妻山、残念ながら吾妻小富士に雲がかかっていました。お年寄りの会話が聞こえてきて「今年の吾妻山はいつもより白い」、雪の多い年だったことがしのばれます。

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夕暮れの雪山ですが、夕暮れもずいぶん遅くなりました。気がつけば、春彼岸まであと一月もありません。節分だ恵方巻きだと言っていたら、もう雛祭りです。

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果樹園のせん定作業もほぼ終わり、落ちた枝の整理の時期です。これから彼岸頃にかけて細枝を燃やす煙が、あちこちから立ち上がってきます、冬の暖を取る焚火ではなくて春を告る煙です。

3.11の原発事故6年目の記事が増えてきました。ま、いつもの通り紋切型、あまり目新しいものではありません。これから3月上旬にかけてこれがピーク、そして何もなかったように別の話題に移ります。7年目も基本的に何も変わらないのですが。
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日曜の昼下がり
「日曜の昼下がり」、ポカポカ陽気と付け加えたいところですが、そう都合がよく季節は運ばす、冷たい風に加えて雨粒も落ちてきました。

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ですから防寒具に身を固めての犬の散歩です。「犬はよろこび庭駆けまわる」は「ポチ」の名付られることが多かった日本の在来種の話、昨今の愛玩犬の特性は分かりませんが。
少なくとも飼い主の「運動不足解消」に多少の寄与はしているのでしょう。

散歩コースの外れの辺り、果樹園と水田だった辺りに忽然と建設された復興住宅。入居はまだですが、規模からして相当の居住者でしょう、この規模の(この写真も全容の一部ですが)団地造成を小学校を挟んだ隣接地でも行っています。

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こうしてみると、県内外の避難者は8万人を割り込みましたなどと「明るいニュース」風の報道もありましたが、流浪の民の多さが浮彫にされます。避難者は避難地から別の避難地に引っ越すと、「避難者」とカウントされなくなるとのこと、数字のマジックで避難者が減ったと、事故の「風化」を進めたいと思っている輩も、なんと多いことか。


東の空
午後の打合せ、車を止めた駐車場から東の方向を見れば前日一転した青空。日差しは明るくなりましたが、相変らず風は冷たい2月の末です。

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この立木の反対側が「稲荷神社」、この界隈では一番大きな神社でしょうか。もっとも神社の大小はなにで決まるかは分かりませんが。

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見ているこちらまで寒くなるような小学生の半ズボン、付属小の伝統です。上はジャンパーで防寒していますが、これはどうしたものか。先ずは小学男子だと、顔が写らないように配慮すればシャッターを押せます。これが同じ足むき出しのの女子高生だと撮影は遠慮しなければならず、小学女子だと撮影はもっと微妙になります。「怪しいのもではありません」となんらか
意思表示が必要になります。

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冬を越しつつある雪吊りも、今年はずいぶん活躍しました。しかしこれから3月にかけて湿った雪が降ります、まだ安心はできません。
米沢あたりの雪吊りと違って「観賞用」にも見えますが、これが取れればようやく春です。
西の空
昨日の午後の3時過ぎ、出張するので「写真撮っといて」とお願したらこの写真。駅西口方向からの写した空を見れば鉛色の空。そして落ちてくる雨、相変らず冷たい雨ですが雪ではない分春が近いのかもしれません。例によって2月末ともなると、3.11に向けて様々な特集・報道が出てきます。今年のトレンド(?)は、いじめやハラスメントそして風評被害か。
何度も書きますが、その中で東電労組は賃上げ交渉、それぞれ生活があると言えばそれまでですが。

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季節は移っても、なかなか人の気持ちの問題は簡単に移ってくれません。「汚染水を止められない、メルトダウンを隠蔽した、サソリ型のロボットが先に進めずデブリを確認できない」これでは風評被害の払拭など先の先、国民の知る権利を充足させて、なお理解を得ることが肝要です。「科学的根拠のない風評」とはいえ、科学の粋、事故などあり得ない先端技術のはずだった原発の末路を見ると「科学的根拠とは」は、そこから検証を始めなければなりません。

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雪に閉ざされた「吾妻小富士」も後2ヶ月で、くっきりと「雪うさぎ」を描き出します。もう桜は終わって桃、りんごの花の時期。なかなか寒さが去らない春を待つ身ですが、もっと進まないこともあるようで。


蝋梅(ロウバイ)
また寒さが戻りました。「三寒四温」と言うのには一月、「寒の戻り」には二月早いのですが、凍結の道路に風で雪が舞う風景は積雪より寒々しく見えます。
しかし、先週の暖かさの影響か、気付かぬうちに隣の蝋梅も咲き揃っていました。

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半月前の紹介では、まだ咲き始めでしたが。何度も書くように先週の暖かさか、もっとも先週は「幕張メッセ」にカンヅメ状態「外は春一番」と来場者が話題にはしていましたが、その暖かさは体験していません。このような花の咲き方で、気候の変化を追体験するのみです。

外国人講師とやらも、冗談のつもりで行ったのでしょうが「放射能を浴びた人間は光る」福島のどこで3.11を迎えた出身者か分かりませんが、全く洒落にもなりません。もっと洒落にならないのは3年前のことが今さら公表。文科省の天下りも問題もあって、大学の体質も問題になっています。

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お向さんでも軒下には除雪用具、これからまで出番もありそうです。いろんな意味で「福島の春は遠い」を実感しています。

春待つ日々
雨水が過ぎました。これからは雪ではなく雨が降るようになる、二十四節季のひとつ。季節の変わり目ですが、当地方はこれからの雪が、西高東低の冬型気圧配置の乾いた雪ではなく、南岸低気圧によってもたらさられる春先の水分を含んだ雪が施設や家屋に被害を与えるので、かえって「雨水」の後の雪が怖いのですが。

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今朝のうっすらと積もった雪は、昼過ぎには融けてしまいました。やはり少しずつ春が近づいているようです、オートバイも出番を待っているようです。

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庭越しのアパートの軒の下に置かれた自転車も出番を待っています、あと3週間か。3.11の翌日は抜けるような青空でした、その後にまた雪が降りました。東北の早春は一進一退を繰り返します、6年前の3.11の翌日晴天の空に水素爆発の白煙が上がりました。続いて3号機、メルトダウンは起こしていたものの爆発には至っていなかった2号機がもっとも事故処理が進むと見られていまが、それにしても調査用のロボットが前に進めない状態、先々が思いやられます。

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庭の桜や寒椿、明日の燃えるゴミの日に合わせて枝切り落としました。東電の事故処理の春は遠いようですが、せめて身近なところでは間もなくやってくる(はずの)、季節の春を待っています。
昨日戻りました
昨日夜、東京から正確には千葉のから東京経由で戻りました。
準備を入れて4日の滞在、少々疲れましたが。田舎者が都会に行った時の定番の形容が「まるでお祭りのよう」と言うものですが、夕方コンベンションを出てホテルに向かう途中のイルミネーション、「まるでクリスマスのよう」という感じ、まさに田舎者丸出しの感想ですが。

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もう少し遅い時間だと、もう少し鮮やかな画像になるのですが、5時に終了して表に出ると5時20分辺り、5時半近くでも外は大分明るくなりました。

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海浜幕張駅まで一団の人の列、幾何学的に構築された街に幾何学的な電飾。何度来ても生活感がないところです、昔行った東ベルリンがこのような印象だったのを思い出します。もっともここにはソ連兵は居ませんが。

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会場内では、地方の食材から先端的な店舗設備まで。なかには、大掛かりなブースを構えながら、どうも士気の上がらない大手企業もありましたが。しかし名門、ぜひ復活してください。
明日から東京
正確には行くのは東京ではなく、千葉市のの幕張メッセですが。東京駅から京葉線に乗り換えるので「東京へ行く」と言えなくもありませんが。
永年、東京ビックサイトで開催されていた展示会、今回はなぜか幕張です。オリンピックの準備と言う話も聞かないので、幕張メッセに移った理由は分かりませんが。

農産物など主に食品の展示商談会。同じく並べたら「福島産」は劣勢です、一昨年だっから「お宅らのは半値」と言われたことがあります、横浜の避難生徒のいじめと一緒です。非がなくても今度よろしくお願いしますと答えるしかありません。忙しいバイヤーに細かな説明は出来ませんし、聞く気もなさそうです。

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雪が多い今年は、外での仕事は遅れているかと思いきや、やはり2月の中旬ともなると切り落とされた果樹の枝が、果樹園にうず高く積まれるようになりました。雪の上でも寒くても黙々と作業を続ける農家には頭が下がります、高級果樹ほど風評被害を受けやすい中、寒風が骨身に沁みるようです。しかし、東電労組は「士気の高揚」「優秀な人材の確保」のため、賃上げ要求のこと。「それ程高給で集めた優秀な人材が、一番津波が届く海側のの下に非常用ディーゼル発電機を置くのか」と、怒りの声がまた聞こえます。東電とて津波の被害者なのですが、切り落とされた細かい枝を拾う果樹農家かを見ると「ミレーの落穂ひろい」のように見えます。むろん落ちた木の枝は枯れる・腐るなどして土に返るのですが、残っていると草刈りなどの障害になるので拾い集めます。狭い考えと言われようが、やはり東電の賃上げ交渉には賛同できません。もっとも、東電労組は事故の原因は経営陣と言うのでしょうが。

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吾妻山の方向に車で走ると、並木道の向こうに黒い雲がかかった吾妻の連山。雲が晴れると雪を頂いた連峰が見えます、覆われた雲から薄日が差してきました。黙々と作業する農家に薄日が差すのはいつの日か。
北からの使者
阿武隈川原で白鳥を見つけました。かつてはあちこちに餌場が設けられ、優雅に空を舞いつつ、川辺や沼の餌場にに戻っては撒かれたパンくず等を「お相伴」にやって来たの鴨と争うように啄んでいましたが、鳥インフルエンザ以来渡り鳥が媒介とされ、すっかり悪者扱いで、餌場も廃止になりました。

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鳥インフルエンザはともかく、野生動物に「餌やり」の是非は以前から言われるところで、これも致し方ないと言ったところか。しかし、餌場がないと白鳥の滞在地も分散してしまい、なかなか見たいと思っても見ることができない存在になってしまました。灰色の子供の白鳥も泳いでいて、シベリヤに帰る翼を鍛えているように見えます。

日米首脳会談の最中に「狙ったのか」「間が悪いのか」北から飛翔体が日本海に落下とのこと。[新任のあなた、あたなの所まで飛んで行く物もありますよ」とのメッセージかも知れませんが、今度の新任者は「脅しとはったりで伸し上がって来た」ような人物ですので、今までのジェントルマンとは違います。

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これも北からの使者か、山形新幹線の「つばさ」が夕やみ迫るなかを走り過ぎました。日本海側は大雪の様子、お見舞い申し上げます。
冬晴れ
西日本や日本海側は大雪のニュースですが、東北南部は久し振りの冬晴れ。風は冷たく時より小雪も舞いますが、やはり青空が見えると気持ちのいいもの。

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残雪と電線越しに見えるのが信夫山、その向うが阿武隈山地でそして青空、阿武隈山地の向こうは浜通り地方、そして太平洋。


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かつての百貨店の跡にホームセンターが進出しました。百貨店、特に地方の百貨店はどこも苦戦のようです、春節の爆買いも今年は鳴りを潜めているようです。何か日本のバブル期を見る思いです。
「凛と張った冷気」に「澄んだ青空」、モノの需要よりも大切なもののような気がしますが、その太平洋も向こうでは「雇用」「為替」「貿易赤字」何とも生臭い課題を押し殺しながら、作り笑顔のゴルフのようです。


最高値
日米首脳会談を前に、日本株も為替も頭打ち、為替の方は円安が頭打ちですが、こういう場合も頭打ちと言うのか。
新大統領への攻撃が続くアメリカですが、経済の方は好調のようで株式の各指標も、高い値を更けています。この分だとまた、NYダウも最高値を更新しそうです。
これだけ堅調に経済が推移しても「アメリカファースト」を叫び、また(たぶん)「胡散臭いおやじ」と思いつつも大統領に選出する、彼の国の多民族・多様な価値観の国民性が浮き彫りになってきます。

さて、東電原発事故の2号機の調査中に、また線量の「最高値」を検出でそうです。この最高値の更新はありがたいことではありませんが、素人から見れば先日の540シーベルトも今回の650シーベルトも、「高線量」としては変わらず、「そうでしたか」としか言いようがありません。

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事故現場からかなり離れた地でも、「福島」がある種ネガティブなキーワードになってしまっている現実。例の横浜の避難生徒のいじめで、「150万円のおごれおごられ、いじめとは認定できない」と、こちらから見ると「ふてぶてしくしか見えない」教育委員長会見等を見るにつけ、この事態でも身を守る術を見つけなければならないと思います。
取り敢えず、平穏に生活しているように見える子供たちに、将来とも差別や偏見のない生活を保障することが大切です。

東電のベースアップは、その次でしょうか。
それにしても東電
日経紙の伝えるところによると、「東電労組が2%の賃上げ要求」とのこと。事故の賠償を行っている最中であるが「士気の向上」「人材確保」のためには必要と経営側に訴える、との事だそうです。

以前の果樹園や水田に構造物が立ち始めて2年。その骨格が見えてきました。予想よりかなり大がかり「復興住宅」です。県内に何カ所か建設されているうちの一つ。

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小学校を挟んで同規模の団地がもう一つ。
裏を返せば、避難をして行き場を失っている人がそれだけ多いということ。残雪の残る果樹園では選定作業の只中ですが、「農産物の販売価格は戻らず」のなかの農作業。

東電の社員も労働者、「原発政策」「経営判断」に従って社業に従事していたのにベースアップがないのは割が合わないと言う意向なのでしょう。
さて、避難地域の中で唯一診療を続けていた「高野病院」、暮れに常勤医の高齢の院長が火事による不慮の死を遂げました。2チャンネルでは「原子力ムラから抹殺された」と物騒な情報もありますが、それはともかく、存命中の病院維持のための努力相当なものと伝えられています。
事故現場の作業員など、他に医療機関がないので患者は多かったようですが、事故以前と診療体制も診療の機材も異なり対応に追われていたそうですが、社会的な使命として診療は継続。
しかし、東電は「診療報酬は確保できている」と杓子定規に賠償を認めない方針で、裁判外手続きである程度のは得れたようですが、病院側は「とても和解といえるものではない」という見解。

それぞれの内容は、伝聞によるものなのでこれ以上の推測は避けますが、継続する被害、埋め切れない賠償、我々は労働者だ、どうも割り切れません。東電の社員給与も事故前の5%減まで回復しているとのこと。それ以前の給与水準を考えると、やはりある意味原発事故のとばっちりで社業が傾いた「東芝の社員の身になれ」と言いたくはなります。
もっとも、東芝さんも「同じムラの住人だった」と言う声も聞こえてきそうですが。



蝋梅
蝋梅(ロウバイ)です、狼狽ではありません。

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立春を過ぎると、2月上旬でも「日差しが春めいた」日が1日くらいあるのですが、今年はまだそのような日がありません。この地味に話題にする隣家の蝋梅も、今になってようやく綻び始めました。写真もアップで見ると舞う粉雪も捉えられます。

何年か空き家になっていた隣家も、昨夏に入居者が来ました。住宅建設までの仮住まいだそうですが、子供の声が聞こえるとやはりこちらも元気をもらえます。

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この方向は北向きで、日差しの当る時間も短いので、福島の花の名所「花見山の蝋梅」のニュースが届いてからここの蝋梅がほころぶまで時間差があるのですが、その分長く咲き続けます。3月末頃に「まだ咲いてた」と見ることもしばしばあります。

ここに越してきたご主人は、お仕事のご都合か、近隣のどこよりも早くワゴン車に乗ってお出かけです。このところの雪で、連日のように早朝に雪かきをしてから出て行かれます。

お父さんの仕事は、なかなか大変なもの(と書くと女性労働力の軽視とか言われるのですが)。「重要取引先の経営者が変わった」「変人と評判で世間の評判も良くない」、しかしこれまでのでの付き合いと今後の関係を考えると「とりあえずご挨拶に伺う」「お誘いがあったので接待ゴルフ」。
確かに変人だとは思いますが、このくらいの業務に目くじらを立てなくとも宜しいのではないでしょうか。意に沿わない付き合いはしないと割切る訳には行かないこともあります、一応正当な手続きを経ての就任なので。

再び豪雪の地の話題
福島では、原発事故に起因する農産物の「風評被害対策の協議会」を立ち上げただの、立ち上げるだの。国と県とJAが中核メンバーだそうですが、「対策を施している」と言うアリバイ作りか。
540ベクレルの放射線を検出した(福島第1原発2号機)、いままで計測した最大数値は70ベクレルであった。などと言う、最近の報道からすると、ネガティブ情報に抗する手段は何か?と言うところに興味は行きますが、効果の方はアリバイ作りで終わる予感がします。外れてほしいのですが。

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米沢の大学構内の欅並木。この町にも福島からの避難者が押し寄せました。峠越えはあるものの、福島から近く、同じ隣県でも宮城南部はやはり放射線が高いということが言われました。
特に「仕事の関係で遠くには行けない」「子供は小さい」と、言う様な条件では、お父さんだけがここから職場に通勤のケースが多くありました。あれから6度目の冬、もう、元の場所に戻っているのか、子供の生活環境を変えたくなくて居残っているのか。
隣県の豪雪をみながら、少々切なくなります。そして、山形でも昨年2件のいじめがあったことがわかったとの報道です。
雪かき
普段なら「余計な作業」と思ってしまう雪かきも、米沢の雪を見たあとなら、「福島盆地の雪など、まるで楽」と思ってしまいます。
戦国武将伊達正宗は、「仙台の人」と思われがちですが、生まれは米沢です。
もともと伊達氏は、常陸辺りの武士。鎌倉の頼朝が平泉を攻めるときに従軍し、現在の福島県国見町と宮城県白石市の境で両軍が激突した厚樫山の合戦で軍功があった伊達市の先祖が、現在の福島県伊達市や伊達郡を領地として与えられたのが伊達市の始まり。戦国時代には隣接する、現在の米沢市まで領地を拡大し、正宗は米沢で出生したようです。

なにも、福島県側にも領地がありながら、それほど雪深いところに住まなくとも、と思ってしまうのですが、雪深くとも領地を治めやすい魅力がある土地なのでしょう。

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福島盆地の雪はきは、プラスチックのシャベルでもなんとかなりますが、先日行った米沢盆地は重機や除雪車の作業。うずたかく積まれた雪は小山のようでした。

だから、辛抱強い人間性が生まれて「米沢織」や「木工芸」か成立して、後の工業集積に発展したといわれれば、豪雪も悪いものではないと思ってしまいます。
さすがに豪雪
こちら福島にも雪が降った朝、従前から予定が入っていた米沢へ。国道で1時間程度の工程ながら、さすがに豪雪地帯。奥羽山脈を抜ける幾つかのトンネルをくぐる度、雪が深くなります。

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郵便ポストが雪に埋まると役に立たないので、周囲だけを「くり抜く」ように除雪してあるのも福島では見ない風景。共同研究の大学の構内にあるポストです。

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いつもは研究棟の前あたりに、勝手にスペースを見つけて駐車するおですが、「来られても車を置けるようなところはありません」と、もっともな連絡を貰っていたので、正門わきの駐車場に行ったのですが、桜の木の横は雪の壁駐車スペースを作る苦労も察せられます。
正月明けに来たときには、日陰に残雪がある程度で「なんでしょうね今年の冬は」と言ってから約3週間後にはこのような状態。

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もっとも、ゴチック様式の旧校舎には雪が似合わないこともないのですが。

吹雪の前
「大分雪が融けてきて」とおもっていたら、また吹雪かれました。その雪の前の安達太良山、リンゴ畑越しのアングルです。

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今覆っている雪雲が去ると、もっと真っ白な連山が現れるでしょう。果樹園の作業もいくら雪上の防寒具でも、風があるときは作業は無理で、「脚立は立たな」いは「枝は揺れる」はで、仕事にはなりません。

吹雪のように、また大嵐のような情報。福島第1原発2号炉のデブリ(融け落ちた核燃料)の調査中に、500シーべルト以上の線量を計測、取り出し作業はおろか調査も行えないような高線量だそうです。
全く、情報を小出しにしてきます。先日は「デブリらしきものが見えた」と、まるで作業の糸口が見えたような報道が暗転。もれでまた、幽霊のように「石棺」などと言うプランが、また出てくるのでしょうか。

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事故現場から100キロメートル近く離れた吾妻連峰も「福島県」と言うだけで肩身が狭くなります。もちろん何の非もないのですが。
百舌(もず)のいる畑
テレビドラマ化されたが、原作の小説ほど面白くなかった逢坂剛の「百舌シリーズ」。2~3年前にテレビと映画になりました、ヒロインの刑事役には真木よう子、と言う個人的な感想は別にして「果樹園に百舌」が。
おそらく、何かの都合で収穫をしなかったリンゴの木。雪に当り落ちる寸前のリンゴに餌を求める百舌が群がります。

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融けてきたとはいえ、まだ以前の雪が残っている場所もあって、露出した部分に「餌」になりそうなものがあると野鳥が寄ってきます。

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百舌は捕まえたカエルを枝に刺して乾燥させ餌(諸説あり)にするような肉食系ですので、熟したリンゴに群がる程度はまだ可愛い食生活とも言えます。

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傍らでは黙々と剪定作業に励む果樹農家。こちらは、もも畑です。脚立を前に刈込鋏を肩にかけて考えているのは、残す枝の位置。枝ぶりと言うのは見栄えのことではなく、果実が効率よく実を結ぶ条件。思いは、早や収穫の夏。鳥の餌になるのだけは避けたいものです。
厳寒です
一年で最も寒い時。冬至から見ると日足は伸びましたが、寒さは相変らず。しかし、雪が降ろうが寒かろうが社会は動いています。

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寒い中道路に立つ方には申し訳ないのですが、釈然としないのが「道路除染」。建設とか補修とか、前向きな投資や作業ではなく原状復帰、原発事故以前に放射線量を戻す作業。もちろん原状復帰は「当たり前」のことなのですが、事故直後に東電の言った「セシウムは無主物」つまり「飛散したセシウムは誰のものでもないので知りません」、国の機関やいわゆる原子力ムラが主張していた「線量のしきい値」等、年間20ミリシーベルトは安全の範囲など、散々いろいろな主張が交錯した挙句に飛散から6年近く経つのにまだ除染中というありさま。
散々都合の良い主張をした「当事者」「有識者」は、「この寒空にどこでぬくぬく生きているのか」と、何とも感情的なことを思って今う厳寒期です。

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その当時、錯綜する放射能情報の中で、不安のなかで育てた乳幼児も今では小学生。不安にいたたまれなくて県外に避難した子供に対する「いじめ」は何らかの形で毎日のように報道されますが、あの当時の親の心境は、まさに「残るも地獄去るのも地獄」の状態。厳寒に下校の交通整理をするシルバーボランティアには、いつも「ほっこり」とさせられます。